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GDPRの施行に思う [経済]

  2018年5月25日、EUのGDPR(General Data Protection Regulation:EU一般データ保護規則)が施行された。早速、EUでは7月18日にグーグルに対してアンドロイド関連で5700億円の制裁金が科せられ、一方フィスブックは先の米大統領選最中の8700万人のユーザデータ流出の件で、CEOのザッカーバーグが米上院公聴会で聴取を受けるという事態にまで陥っている。EUのGDPR施行により、これからシリコンバレーのプラットフォーム企業はどうなって行くのだろうか?

 日本の有識者や企業人の中にも米大手プラットフォーム企業(グーグル、フェイスブック、アップル、アマゾン、etc)の搾取を快く思っていない人は多いと思う。事実、現在のインターネットシステムは一部のプラットフォーム企業の経済的利益を生み出すためのエコシステムに変貌していて、既に破綻してしまっている。それをGDPRという形で、世界最大の立法機関である欧州議会から出てきたことには大きな意味があるように思う。世界に先駆けて、GDPRという普遍的な形でまとめ上げることができたのは、EUでしかできないことだと思う。

 これからのインターネットシステムを考えた場合、GDPRのようなものは必要だと思うし、無いよりは絶対にあったほうが良いのは分かっている。ただ今後、GDPRの思惑通りに世界が回って行くかどうかはかなり疑問だし、多くの問題点を孕んでいるように思う。中にはこれで米巨大プラットフォーマーによる「データ錬金術」は終わるとか、インターネットが1995年段階にリセットされるというような意見もあるようだが、それはかなり難しいと思う。おそらくは両者の思惑の鬩ぎ合いのような事がこれから起こって、私の推測では米巨大プラットフォーマーがかなり有利な条件で均衡して行くのではないかと見ている。

 この米巨大プラットフォーマー対EUの戦いは、別の観点から見ると、米国という国家の名前を借りた世界のユダヤ支配に対する、ヨーロッパのそれもベルリンを中心としたドイツとの戦いとも見ることもできる。新しい冷戦は、現代の新たな「通貨」である個人データの主権と管理を巡る戦いでもある。互いに敵対するのは、個人が自身のデータを管理する絶対的な権利を持っていると信じ、自分の身体や財産と同様の自己主権を行使すべきとする社会と、「プライバシーの死」を納得させる無料のサービスで個人データを蒐集し、バックドアのマーケットによって監視資本主義を積極的に是認する社会との非対称性である。データ経済の民主化は本当に可能なのだろうか?

  EUでは現在GDPRの施行に合わせて、個人データをシリコンバレーのIT巨人から取り戻すべく、既にDECODE(分散型市民所有データ・エコシステム)という欧州委員会のプロジェクトが動いている。これは、人々のプライバシーを保護し、個人データの所有権を与えることを約束し、これにより新しいデジタル経済エコシステムを作り出し、特にデータの保管と共有のための民主的モデルの実現を目指している。DECODEプロジェクトが先導し、今後2年間で個人データ経済の重要な見取り図が示されることが期待されているが、はたしてこれでインターネット第二幕となって、1995年段階にインターネットをリセットできるかどうかは今の所は分からない。

 現在はそれにさらにAIの技術が加わって、自動学習によって自動的に書き換えられていくプログラムは、人間から離陸する。その結果、人間が最初に記述したオリジナル・コードは改変され、ある時点では原形をとどめることなく消滅する。次世代のGDPRの主要なアップデートは、現代のロボット原則の更新を前提に、「AIロボットに、プライバシーの自律的主権を認める」という明示的な追記であろう。次のGDPRは、AIロボットに適用される可能性がある。

 最後に、最近ひとつ面白い論文を見つけました。「超インテリジェント・マシンのための数学的枠組み」(注)という題の論文ですが、この中で述べられている計算が、AIのマスター・アルゴリズム、意識の誕生を示唆しているというものです。この計算が、ある種のフィードバックループを提供し、それがマシンの意識がどのように現れるかの局面であるということらしいです。もう既にこんな段階にまで来てしまっているのですね^^;



by チイ


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デジタルデフレーション [経済]

 最近、「デジタルデフレーション」という言葉を知った。簡単に言ってしまうと、「デジタル革命は、従来型産業の生産性を大幅に改善はしているが、新たな需要は創造しない。」ということらしい。20世紀の「モノの経済」では、生産性が向上すると販売価格が下がって、その結果需要が大きく増大して産業規模は拡大する。しかし、21世紀の「デジタル革命」ではデジタル化によって需要は呼び起こされないので、産業規模は拡大しないし、価格が下がるだけのデフレーションにつながる。


 日銀の金融緩和でインフレにならない理由の一つには、この「デジタルデフレーション」が関係しているのかもしれない。(もちろん原油価格の下落などの影響もあるわけだが。)今政府の行なっている金融政策や財政政策が、20世紀の古い経済を前提に対策がなされているとすると、それがお門違いの政策になってしまう可能性は十分にある様に思う。20世紀と21世紀ではその経済構造そのものが変わってしまっているのだということをまずは認識する必要性がある様に思う。


 私は経済の専門家でも何でもないので、「デジタルデフレーション」の真偽の程についてはよく分からないが、これからデジタル革命はさらにAI革命などの洗礼を受けていくことになって、「デジタルデフレーション」はさらにはっきりとした形で、世の中に定着して行きそうな気がする。その先にはおそらくBI(ベーシック・インカム)の様な社会保障政策につながっていくのだろう。


by チイ

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日本は既に第3の敗戦を迎えているのかもしれない [経済]

 池田信夫さんのブログでも言っていたことだが、今現在の日本の政府債務の対GDP比は233%で、先の戦争に日本が負けた時の204%を既に越していて、平時の記録としては世界最高であるらしい。戦時中までを含めると第2次世界大戦のイギリスの250%が最高らしいが、このまま行けば、この記録も後数年で日本が更新してしまうだろう。

 安倍総理が今回の安全保障法案を改正して、有事の際にアメリカと共に日本が中国や北朝鮮と闘えるように準備をしていても、現在戦争してなくても、財政は戦時体制にあるというか、既にそれを超えてしまっている。1回戦争が起こると通常GDPに相当する額が吹っ飛ぶので、今日本は戦争したくても戦争ができない財政状態にあるわけだ。

 日本は既に第3の敗戦を迎えているのではないか?それは戦争による敗戦ではなくて、経済(産業)による敗戦だ。結局の所、そのお金は何に使われているかというと、大企業の優遇策であったり、ゼネコンの公共事業対策であったり、金融緩和による株価の吊り上げなどの用途に使われているからだ。

 多くの人は現在日本の大企業の収益は改善されてきていて、株価も上がってきているので敗戦を迎えているという実感はほとんどないかもしれないが、株価は政府が介入する官制相場によって操られているし、実質成長率は平均で民主党時代の1.9%から自民党政権になってから0.8%以下と更に悪くなっている。

 今の日本の産業界が歩んでいる道は、先の大戦の軍部が歩んだ道と驚くほど似ている。モノ→情報への転換に失敗したという点や、既に終わってしまった産業(技術)の極みモノ(応用)を延々とやり続けて、次の新しい技術に乗り遅れるという点で、軍事が民生に変わっただけで非常に酷似している。

 既にミッドウェー海戦は終わっている。それに相当するのが日本の電機産業の没落だ。レイテ沖海戦やマリアナ沖海戦に相当するのが、多分これから起こるであろう自動車産業や重電機器産業の没落になるのだろう。この時点ではじめて多くの人が第3の敗戦を自覚すことになると思う。日本の大企業のほとんどは、20世紀の「産業革命」を極める類の仕事をいまだに延々とやっているし、政府もその方面にほとんどの成長戦略の資金を投入している。本命の21世紀の「情報革命」の方にはまだ本気で軸足を移せていないというのが現状だろう。

 とどめはAGIになるのではないか?これが完成された時点で、全ての産業が劇的に変化してそれに支配されることになると思う。その時はもう、各国間の戦いではなくなって、機械(コンピュータ)との戦いの時代に突入していってしまうように思う。

by チイ


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ピケティにみる日本社会の不思議 [経済]

 今日本では、ピケティの「21世紀の資本」が大ブームになっている。先週にピケティ自身も来日して、講演会場は満員となり、時の人になっている感がある。私も訳本の「21世紀の資本」は買って読みたかったのだが、なにせ分量が多いので、とても読んでいる時間が取れないなと思って、池田信夫さんの解説本で済ませることにした。(歴史的な一冊なので、持っておく価値はあるかもしれません。また、英語のペーバーバックも出版されているので英語の得意な方はそちらを読まれた方がいいかも。高校生は英語と訳本の2冊買って、英語のリーディングの勉強にもなります。それをやったからといって、英語の試験で点数が取れるようにはならないと思いますが。)

 安倍さんの経済政策には「分配論」が完全に抜け落ちてしまっているので、ピケティの本で日本がこのことに興味を持つきっかけになるのはいいことだと思う。私が不思議に思うのは、何故「21世紀の資本」みたいなインパクトのある本が、日本の経済学者の中から出てこないのだろうか?ということだ。ピケティはアメリカで経済学を学んだが、それに納得できなかった。それでフランスに戻って、過去200年の経済学のデータを「数量経済学」の手法を使って解析して、この200年の間格差は広がる傾向にあるという結論に至った。

 ビッグデータを使った統計的な手法などは、道具を使うことの得意な日本人にはぴったりの仕事ではあるはずなのだが、なぜか日本からはピケティのような学者として気骨のある人は出てこない。今日本の経済学者がやっているのは、アベノミクスで、「リフレ派」と「反リフレ派」に分かれて、各々が自分たちの主張が正しいことを言い争っているだけだ。要はWASPの作った経済理論を、環境の異なる日本の経済状況に当てはめて、それが成り立つ、成り立たないのインプリメンテーションの議論を延々に続けている。

 今の日本の経済学者で「リフレ派」と称する人達の多くは、だれが見てもその道の「エリート」と思われる人達の顔ぶれだ。彼らにとって一番重要なのは、自分たちがWASPやユダヤ人の「リフレ派」の仲間と言うかクラブに属していることなのだろう。それこそが彼らが「エリート」である証であるのだろう。でもそういった価値観の中からはピケティのような人は生まれないし、日本の経済学者の「知のレベル」は三流だなと思ってしまう。これからは日本の経済学者の間では、おそらく分配論に向けたピケティのインプリメンテーションが始まるのだろう。

 これは何も経済学に限った話ではない。日本人は基本的には技術の分野でも欧米人が考えた理論のインプリメンテーションばかりをやっている。日本のイノベーションは、インプリメンテーションであるとも言える。知のレベルからイノベーションを起こすのは実際に難しいし、時間もかかってしまう。(それに知恵が足りなければ、いくら時間をかけても結局は徒労に終わってしまう。)実際、日本の工学部の人たちの多くは、「イノベーション=実学、インプリメンテーション」と思っている人は多いと思う。でも知のレベルからのイノベーションが起こった場合、工学だけのイノベーションは吹き飛ばされてしまう。

 日本の大学は、アカデミックが上で、実学を下に見る傾向があるらしい。しかし、実際には日本人は実学しかできていないように思うし、それこそが日本の強みだとも思う。だから逆に自分たちが出来ていないアカデミックを上に見る傾向があるのだと思う。もちろんどちらも大切であることに変わりはないのだが。

 池田信夫さんが、ブログでピケティの言っている「平等」と日本人の言っている「平等」は本質的に違うということを指摘していた。欧米の「保守」と「リベラル」の潮流の起源のような話もされていて、なるほどなあ~と深く感心させられてしまった。日本人はそんなことも知らないで、自分たちの勝手な解釈でピケティの平等をインプリメンテーションしようとしている。知に関しては気楽な民族だなあ~と思ってしまう反面、それが日本の凄さなのかもしれない。

by チイ


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グローバル化とは世界のユダヤ化なのかもしれない [経済]

 最近まで私は「グローバル化」とは、世界のアメリカ化、またはWASP化のことだと思っていたのだが、最近はそうではなくて「世界のユダヤ化」なのだと思えるようになってきた。前にも書いたが私はもともと人種には全然こだわらない人なので、つい最近までアメリカのITを牽引しているのがユダヤ系企業であることを知らなかったのだが、それを知った時、日本の家電メーカーがなぜ壊滅状態になってしまったのかを含めて、今世界でおこっていることが全て分かったような気がした。

 これから、アップルとグーグルの間で、「コンバージェンス」に向かった最後のソフトウエア・プラットフォーム戦争が始まるとも言われているようだが、今両社の間では、イスラエルの大学の優秀なソフトウエア・エンジニアやイスラエルのITベンチャーの買収の争奪戦が勃発しているらしい。両社にとっても、これからのソフトウエア・プラットフォーム戦争を勝ち抜くためには、これらの優秀なユダヤ系の人材をどれだけ多く確保できるかでその勝敗が決まってしまうということらしい。昔よくイスラエルに戻ったユダヤ人は、安心してしまって優秀でなくなるというような話を聞いた記憶があるが、現実にはそうではないようだ。(中東戦争などで、常に戦争と隣り合わせの生活をしているため、緊張感が保たれているせいなのかもしれない。)

 世界のグローバル化とはユダヤ人が望む世界の最終形なのかもしれない。その特徴は、

  • 国境の無いレイヤ―化された世界
  • 貧富の格差の激しい世界
  • 少数の超優秀な民族や企業に支配される世界

ということになるのだろう。彼らの推進する世界では、人間のする仕事は、人間にしかできないと思われている創造的な仕事も含めて、それらはどんどん機械のする仕事に置き換えられていく。現行の機械学習では、既に人間が考えて作ったアルゴリズムより、機械がデータを学習して作ったアルゴリズムの方がずっと性能の良いモノが作れる事例はいくらでも出てきている。また、ここ数年注目を集めている、HintonやBengio達が推進する「Deep Learning」では人間が教えなくとも機械が自らデータの中からパターンを獲得するような技術も出てきている。現在、産業用ロボットや人型のロボットなどはまだ比較的日本が優位な部分もあったりするが、AIの頭脳とも言える非ノイマン型のニューロ・モ―フィックチップやその上で動くソフトウエアが開発されてしまえば、日本の持っているロボット技術は本当につまらないものになってしまうかもしれない。

 現在、プログラミングは人間が行っている創造的な仕事のひとつであるが、後数十年もすればコードを書く仕事のほとんどの部分は機械がやる仕事になっているだろう。現在、個別のアプリケーションプログラムを書いているようなプログラマーはほとんどが不要になり、プログラマーは性能の良いコードジェネレータを機械と共同して作れるような一部の本当に優秀なプログラマー以外は必要なくなるだろう。ある部分は人間以上に賢くなった機械を使いこなし、それと共同して新たな価値を創造できる人間、または、まだ機械にできなくて人間にしかできない部分の創造的な仕事をやれる人間しか仕事が無くなってしまうのかもしれない。

 先週の朝日新聞のコラムか何かに海外の投資家が、「アベノミクス」は実質、第1と第2の矢だけで、第3の矢の「成長戦略」は必要ないというようなことを書いていた。成長戦略はどうせやってもできないから、その分を第1の矢の金融緩和で市場に円を大量にばら撒いて円安にすればいいということらしい。私もアベノミクスは金融緩和と公共事業で終わってしまうと思う。(今年から、全国に何箇所か特区を作ってやるらしいが、古い産業の自民党の利権の温床になってしまう可能性が高いので、まだ何もしない方がましだと思う。)零戦に代表されるような、クライアントの単品モノのハード製品、ハードウエア・プラットフォームとしての空母が公共事業ということになるのだろうが、これでは旧日本軍がやったことと全く同じだ。

 民主党がハード→ソフト路線で失敗した最大の理由は、ソフト路線の仕事として、たとえば介護のような製造業の収益の半分くらいしかないような仕事しか示せなかったことだ。本当は、上に書いたようなクラウド→人工知能のソフト路線では、今グーグルやアップルやフェイスブックのやっているような高付加価値のソフトウエア産業はいくらでもある。本来はそこを目指すように国民に夢を与え、それができるように教育や産業構造を変えていかなければいけなかったが出来なかった。いずれにしても、単品モノのハードのクライアント製品、ハードウエア・プラットフォームを中心に据えた戦略は、それ自体が間違った戦略だとしかいいようがない。

by チイ


アベノミクス第3の矢~安倍総理が本当にすべきこと~ [経済]

 6月5日、安倍首相による「アベノミクス第3の矢」の成長戦略素案の発表があったが、その直後から株価が4%ほどいっきに下落した。市場の概ねの評価は、成長戦略の美辞麗句、字ずらだけを並べたもので、実際の個別の戦略の実行のロードマップが全然示せていないというものであった。成長戦略の中身としても、「医療」、「クリーンエネルギー」、「次世代インフラ」、「農業改革」など民主党政権時からずっと言われ続けて来て、まだ実現できていないものばかりで新鮮味に欠けていたように思う。

 実は、議員内閣制における内閣総理大臣は、アメリカなどの国民が直接選挙で選ぶ大統領以上の強い権力を有しているそうです。成長戦略の具体的な内容は、実際は自民党の政調や霞が関の官僚が作成しているわけで、その前に、安倍さんは成長戦略(発展戦略)としてどういった方向にこの国を導いていこうとしているのかを国民に示す必要があるわけです。私が安倍さんの立場だったら、まずTVで21世紀の世界の潮流は、「ハード」ではなくて「ソフト」の時代になることを国民に説明して、21世紀の日本は「ソフトウエア立国」を目指すことを国内外に宣言します。

 本当はこれは民主党政権が出来たときに、鳩山前総理がやっていればベストだったのですが、民主党は「コンクリートから人へ」の実際の核になるビジョンを最後まで示すことができませんでした。多くの日本国民は政治に期待するものの大半は経済政策なので、本当は21世紀は、民主党が「ソフト主導の経済政策」を、自民党が従来の得意としている「ハード主導の経済政策」を対立軸とした2大政党でやっていけばよかったのです。

 ただ、こういうことを言うと猛反対する人達はたくさんいます。まずなによりも経団連の「ハードがちがち頭」のおじさんやおじいさんたちを説得しなければなりません。また、現状下での日本の大手製造メーカーは、まさにハード主導なので、競争力のないソフト主導になんかにすれば、たちまち会社が倒産してしまうといわれてしまいます。高等教育も旧態依然とした体質で、全然時代の求めに応じたものではなくなってしまっています。ソフトウエア立国を目指すなら、教育そのものもそれに合わせて大きく変えていく必要があります。それができるのは権力を掌握している総理大臣だけです。

 そのためにもトップが、その方向性にどれだけの確信をもっているかが問われることになります。たとえ失敗しても、その方向性以外に日本が進むべき道がないのならチャレンジしてみるしかないと思います。20世紀は「モノ(物質)」が中心の時代でしたが、21世紀は「情報」が中心の世紀になります。それに合わせて科学や技術の中心も「ハード」から「ソフト」へと間違いなく動いていくことになると思います。特にこの10~20年くらいの間に、コンピュータが特にソフト面で飛躍的に進歩して、世界を大きくかえていくことになると思います。たとえば20世紀の大量生産のものづくりそのものも全然違った形に変容していくと思います。

 総理大臣が国民に呼びかけて、国民が変わらなければいけないのだと納得すれば、日本人の変化に対する対応能力や技術習得能力は世界一です。その際大切な事は、古いモノや体制は温存しないことです。今やっているような、大企業でうまくいかなくなった半導体やパネルの部門を国が買い取って再生させるみたいなことは止めた方がいいです。その分のお金をこれからの新規ソフト分野への投資に回した方がはるかに建設的です。

 今電機大手の中では、シャープが銀行からの資金調達も難しい状態に追い込まれて、一番大変なようだが、私はシャープは早く潰れてしまった方がいいと思う。理由は簡単で、これからの日本の将来の仕事として、どんなに高精細なパネルなんか作っても、それはもう日本のやる仕事ではなくなっているからです。シャープが一番最初に潰れれば、シャープの組み込み系のソフトエンジニアの中から将来の関西のソフトウエア産業を背負って立つ人が出てくる可能性が一番あるわけです。シャープのエンジニアに一番チャンスがあるとも言えるわけです。でもそれはシャープの中にいてはもう駄目です。

by チイ


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2012年景気予想 [経済]

 2012年はどんな年になるのだろうか?私は、経済そのものにそんなに興味があるわけではないし、幅広く有識者の言っていることを自分なりに総合判断しているわけでもないが、最近は榊原英資氏の経済予測だけは読むようにしている。それによると2012年は2011年の「世界同時不況」からいよいよ「世界同時恐慌」の時代へと突入していってしまいそうな感じだ。2012年はアメリカやフランスなどで大統領選挙などがあり、リーダーが変わる年でもあるが、今だれがリーダーになったとしても、米の「バランスシート不況」と欧州の「ソブリンリスク」は構造的なものなので短期間では変えようがないそうだ。今、世界同時恐慌へのリスクは下記の3つがあるようだ。

  1. 米のバランスシート不況が2番底を付ける可能性
  2. 欧州のソブリンリスクでユーロが崩壊してしまう可能性
  3. 中国とインドのバブルとインフレがハードランディングしてしまう可能性

 上のどれかひとつでもトリガーを引いてしまえば、世界同時恐慌に突入していってしまう可能性は高い。当然、複合的にトリガーをひいてしまう可能性もある。

 日本にとって一番深刻な問題は、円高の問題だろう。円高(といういよりも、ドル安、ユーロ安と言った方がいいのかもしれないが)は上記の1.と2.が構造的な問題で、ここ数年で解決するような問題ではないため、現状手の施しようがないといったところだ。1ドル60円台くらいまでいっきにいってしまうのかもしれない。円高を逆手にとって、「攻めの円高戦略」を真剣に考える時に来ているとのこと。

 氏によると、今アメリカの金融帝国が崩壊して、世界経済のヘゲモニーがアメリカから、中国、インドといったリ・オリエントへの移行期なのだそうだ。(丁度、第2次世界大戦後、世界の覇権がヨーロッパからアメリカへ移ったよう。)そして、ヘゲモニーが移行する時、世界同時恐慌が起こるというのは、歴史の必然でもあるようだ。そういう意味でも、2012年はその年になってしまう可能性は非常に高い。

 私としては、およそ100年間続いた「モノ中心の経済」の終焉として、やはり世界同時恐慌が起きてしまうのだろうなと思っている。100年続いた、モノ中心の経済で、今主要先進国はどの国も膨大な財政赤字にあえいでいるし、またコンピュータを使った為替取引では1日で約350兆円(1日の貿易取引額の40倍以上)ものお金が世界を駆け巡っている。どちらもとても正常な状態とは思えない。このままごまかしてずるずるやっているよりは、どこかの時点で世界同時恐慌になって、早い段階で全てを一度リセットし直した方がよいのかもしれない。(大企業や銀行が倒産し、10年間くらい失業者があふれて大変な時期になってしまうと思うが。)

 21世紀は、「情報」が中心となって経済が動いていくのは間違いない。そして、その社会の理想形は3つの所有からの解放だと思っている。①財の所有からの解放、②モノの所有からの解放、③人の所有からの解放。もちろん、これらのものを個人や企業が全く所有しなくなるという意味ではなく、情報を中心に据えることで、それらの所有を必然的に少なくするような社会の実現は可能だと考える。要は、地球環境を破壊しないで、社会の貧富格差をなくして、人が繋がることでその人に合った働きがいのある社会を実現すればいいのだ。そのために民主主義もそれを実現するための「新しい民主主義」へと変わっていけば良い。

by チイ


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ソフトウエア立国を目指す~21世紀の日本の新たなビジョンとして~ [経済]

 21世紀の日本は、「ソフトウエア立国」を国の新たなビジョンに掲げてやってみてはどうだろう?「コンピュータ、ソフトがなければただの箱」というセリフは、コンピュータがまだスタンドアローンのメインフレーム(大型計算機)が主流だった時代から言われ続けてきた言葉だったが、日本はハード偏重主義でやってきた。それも「モノ」が中心だった20世紀の時代では、間違った選択ではなかったのかもしれない。しかし今、「情報」がインターネットを介して有機的に結びつく時代の到来とともに、ハード→ソフトの軸足の移動はもう絶対に避けては通れないものになってしまった。そして経済の世界では、それは直接の製品開発から、その母艦のソフトウエアの集合体である「プラットフォーム」を中心とした戦いになってきている。

 戦後の日本は、それまでの天皇制のような日本固有の価値観が全て破壊されてしまったために、日本人は本当に目に見えるモノしか信用しなくなってしまった。それは20世紀のモノが中心だった時代にはプラスに働いた面もあったが、逆に、日本人の思考の範囲を狭めてしまって、特にソフトウエアのような抽象的思考の産物を軽視する傾向になってしまった。モノがどんどん複雑になっていって、それがシステムになっていく場合、そこでの主役が、ハード→ソフトになっていくのは技術の必然の流れである。特にそれが現在のようなデジタル技術が中心である場合は、なおさらである。

 11月上旬にUstreamで経産省主催の「新しい日本の創造」を考えるという番組で、日本人は、何故プラットフォームを作るのが苦手なのだろう?というようなことが論じられていた。プラットフォームとは、簡単に言ってしまうと、ソフトウエアの知の集合体である。その中にもちろんハードウエアも含まれていてもいいわけだが、プラットフォーム全体を作る労力の比率で考えた場合、ざっと言っておそらく、ソフト対ハード=10:1くらいの比率になると思う。日本の場合は、ハードで何か凄いモノを作ることしか考えてないか、考えていてもソフトは後回しで上記の比率が全く逆になってしまっているため、いつも失敗しているように感じる。旧日本軍が空母というプラットフォームを作るのに失敗した理由や現在の大手電機のクラウドのプラットフォーム作りがうまくいかないのも同じところに原因があるように思う。

 ある雑誌の中に、今の日本の電機の苦境は80年代に蒔かれた投資の決断にあるという趣旨のことが書かれてあった。80年代と言えば、日本の産業界の一人勝ちの時代、まさに黄金期である。その時に、アメリカは次の30年を見据えてソフトウエアに投資した。一方日本は半導体に投資した。その結果が今の状態だ。アメリカではソフトウエアが大きく花を開き、逆に日本では半導体は韓国や台湾勢に越されてしまって、青色吐息の状態だ。(ちょっと補足しておくと、アメリカは半導体についても、インテルがマクロプロセッサーという半導体の中の最重要LSIに関してはその設計と製造を確保している。IBMも半導体への投資は限られているが、自前のマイクロプロセッサーの設計は捨ててないし、アップルもモバイル用のA3、A4プロセッサーの設計は自前で行っている。それに対して日本は半導体に莫大な投資をしておきながら、マイクロプロセッサーはインテル、アーム頼みで、半導体としてはもう後進国に出してしまえばいいような、スタンダードセルやゲートアレイのLSIの設計を延々と続けている。)

 日本の電機は30年前の投資に失敗したわけだから、これから間違いなく沈むだろう。しかし、同じようにこの先30年後の未来は今の投資にかかっている。そして、今の日本の悲劇は、アメリカのようにベンチャーで新たなソフトウエア産業の会社が生まれてこないことだ。まずは国が、国としてのハード→ソフトの路線の変更を明確なビジョンとして打ち出すべきだろう。現状の企業の中で、この組み換えを行うのは容易なことではないし、経団連からも猛反発を食らうのは必至だろう。ハードで一世を築いた企業も社会に対するその役割が終わったと考えるなら、無理やり生き残るより、余力のあるうちに解散し、業界挙げての組み換えを行った方がいいのかもしれない。また、若い人がソフトウエアで起業しやすいように国がそのバックアップ体制を整えることも必要だろう。それに合わせて大学の理系のカリキュラムなどもソフトウエア寄りに見直すことなども早急にやらなければいけないことだろう。

by チイ


ティム・クックは日本の家電メーカーにとってのレイモンド・スプルーアンスになってしまうかもしれない [経済]

  歴史は繰り返すというが、このところの日本の産業界、特に電機大手の状況を見ていると、まるで大平洋戦争中の旧日本軍の様相にダブって見えてしまう。経済での戦いを戦争にたとえるのは不謹慎だと言われるかもしれないが、多くの人も同様に感じているのではないか?さしずめ、私には自動車産業の「車」と家電メーカーの「TV」が「戦艦」に見える。そして家電メーカーの「スマホ」(スマートホン)が「戦闘機」(ゼロ戦)に見えてしまう。

 戦後、家電製品の主力だったTVが今、どこの日本の家電メーカーにとっても完全にお荷物になってきてしまっている。また、アップルのおかげで、現在スマートホンの需要が急増し、どこのメーカーもスマホのシェア拡大にしのぎを削っている状態だ。そのスマホにしてもスマホの母艦になる自前のクラウド(大規模データセンター)を日本の家電メーカはどこも持っていない。旧日本軍は、太平洋戦争初期には、世界の大型空母の半数近くを所有していたが、そこに載せるソフトウエアを持っていなかったので戦いに敗れてしまった。今の日本の電機大手はその母艦(ハードウエア)さえ持っていない状態で、これからのクラウド(空母)の時代をどうやって戦っていくつもりなのだろうか?今の日本の産業界の人間は、旧日本軍の知的レベル以下としか思えない。

 先月ジョブズが亡くなって、世界中の人々が彼の死を惜しんでいるが、日本の家電メーカの人達は彼にどういった思いを持っているのだろうか?日本の家電メーカーは、この3年間くらいの間に、ジョブズ(アップル)に完膚無きまでにやられてしまった。よほどのことがないかぎり、もう挽回するのは不可能だろう。そしてそのジョブズの意志を継いだティム・クックに日本の家電メーカは引導を渡されてしまうことになってしまうかもしれない。(丁度、ミッドウェイ海戦で、風疹で入院療養中だったハルゼ―の部下のレイモンド・スプルーアンスの下した「全機発信命令」で日本の主力空母が4隻とも全部沈められてしまったように。)

 後数年したら、AVなんてジャンルはなくなってしまっているだろう。家電というジャンルもクラウドに飲み込まれて全てその端末部品になって、2千10年代にはなくなってしまっていることだろう。年末になるとよく出版される、業界別のカテゴリー分けの売り上げ予想みたいなものは早久意味がなくなってしまうと思う。アップルがあの少ない製品群だけで、あれだけの高収益を上げているのに対して、日本の家電メーカーは、赤字になればなるほど多製品、多品種のモノをつくり続けてどんどん駄目になっていってしまっている。結局は、今までの仕事のやり方しかできないということなのだろうが、それでは旧日本軍同様、ゼロ戦を作り続けて終わってしまう。もっとクラウドの時代に合った、根本的な戦略の見直しが必要だ。

  来年6月くらいまでには、ギリシャは100%デフォルトすると言われている。(ギリシャの国債償還期の今年12月に破綻の可能性大と言われている。)ギリシャがデフォルトすると、その世界経済に与える影響は08年のリーマン・ショック以上になると言われている。一番心配されるのが、大手金融機関の破綻に伴う、銀行の「貸し渋り」で資金が回らなくなってしまうことだ。大手メーカーでも今手元にキャッシュがあまりなかったり、借金の額が大きい会社から順番に潰れていってしまうだろう。欧米、日本の政府共に現在借金漬けで、リーマンショックで投入したような公的資金の注入はもうできない。2012年は世界経済にとって、大変な年になってしまうかもしれない。

by チイ


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ジョブズ氏逝去~大規模量産工場から大規模データセンターの時代へ~ [経済]

 今日、10月6日、アップルのスティーブ・ジョブズ氏が亡くなった。享年56歳、まだまだ若すぎる死である。確かCEOを退任してからまだ2カ月もたっていないことを考えると、本当に最後までアップルのために頑張り続けた結果なのだろう。(ちなみに、昨日発表があった、iPhone4Sの4Sは、For Steve のことらしいが本当なのかな?)カリスマを失ったアップルは、これから苦境に立たされるかもしれない。これを機に、米のグーグルやマイクロソフト、日本の家電メーカなども巻き返しを狙ってくに違いない。

 21世紀は、先進国では、20世紀の大規模量産工場に代わって、大規模データセンターが次々と建設され、それがまさに時代の主役になっていくだろう。ジョブズは、宿主PC同期のコンパニオンデバイスからはじめて、iCloudで宿主を自社データセンターのクラウド同期にする前段階までやって、その最終形は見届けないまま死んでしまった。アップルは既に自社のハード部品などは中国などの国外で生産するようにして、20世紀型の大規模量産工場はどんどん海外に出す方向で進めている。最終的には、大規模量産工場は本当に重要なものだけをひとつくらい国内に残して、あとは全て海外に移して、国内では、大規模データセンターの運営と管理がメイン業務となるような仕事のスタイルにこれからなっていくのだろう。

 日本でもこの4月に総務省が「クラウド特区」なるものを作って、やっていこうとするような計画もあるようだが、まだまだ障害は大きいようだ。大規模データセンターは、一基当たり作るのに、数千億円はかかってしまう。数基作れば、かるく1兆円は越してしまう。今特に日本の家電メーカーはどこも儲かってないので、自社で1基分だけでも資金を捻出できる企業はほとんどないだろう。最初は、国がお金を出して、日本の大学、官民が一体になって立ち上げて、回り始めたら、余力のある企業から順番に払い下げていくような方法を取らないと、アップルのように潤沢な資金を持って、個別の企業だけで独自に回していくのは、技術的にも、資金的にも難しいだろう。

 今は、円高で、電力などの問題もかかえて、日本企業も海外に出ていくチャンスだ。その際、もう過去のものになってしまった、大規模量産工場から順に外に出していくべきだろう。東北の被災地の復興などに、時代の流れに逆行するような、日本人しか運用できないような極みの粋を集めた大規模量産工場を作ったりしないことだ。そしてクラウドのデータなどもシンガポールや中国などの大規模データセンターに頼って預けるような安易な道を取らないことだ。クラウドが完成された理想形に近づくにつれて、クライアント製品群はリッチクライアントからよりシンクライアントに移行していくはずだ。

 ジョブズが最後まで見ることができなかった、21世紀のモノつくりは、これからどんな方向に向かって進んでいくのだろうか?ひとつだけはっきり言えることは、それは20世紀型の大規模量産工場の延長線上にはもはやないということだ。今、日本人に一番問われている能力は、その1千万台近くにもなる大規模データセンターのサーバーに入れるプログラムやデータを創造するだけの想像力があるかどうかということだと思う。

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    Steve Jobs  1955-2011   ご冥福をお祈り申し上げます。

by チイ


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