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ドイツの古都を旅して [風物]

夏の一人旅、旧東ドイツの古都ドレスデン、ライプツィヒでのひとときを思いつくままにつづります。
 
 チェコのモルダウ川から続きドイツ東部を流れるエルベ川沿いに広がるドレスデン旧市街。重厚なバロック建築。第二次世界大戦終わり頃、1945年の英米軍による大空襲で街のほとんどが壊滅し、その復旧には長い年月を要しました。私が訪れた2007年には、近年まで修復中だったという聖母教会もその姿を見られるようになっていました。
 
 宿泊したホテル・ビューローレジデンスは川沿いではなかったので、対岸の旧市街の素晴らしい眺めを窓の向こうに見ることはできませんでしたが、部屋は広く快適でした。このホテルのレストランはミシュランの3つ星なのでぜひお楽しみくださいとスタッフに勧められましたが・・・そこで食事をすることなく過ぎてしまいました。
 
 旅行では、地元の人の行くマーケットを見るのも楽しみのひとつです。まずはミネラルウォーター、チョコレート、フルーツなどを入手します。食事は、数種類からなる前菜やメイン料理、温野菜、ジャガイモ(主食として)など見て選べるタイプのお店に入ります。メニューだけを見て注文するときのように、予想と違うものが出て来てしまうこともありません。
 
 さて、楽しみにしていたシュターツカペレ・ドレスデンのコンサートに出かけました。ゼンパーオーパーと呼ばれる歌劇場。その建物の上部にはギリシャ神話由来のレリーフが施されています。夜間は建物の照明が映えていっそうきれいです。当夜の演目はブラームスの3番のシンフォニーほか。会場の響きも良いし、音色も美しく、芸術的な演奏です。管楽器も実によく歌われていました。そして金管楽器の神々しく深い音色が印象的でした。


                        [ハート][スペード][ダイヤ][クラブ]


 滞在中、J.S.バッハゆかりの街ライプツィヒに日帰りで出かけました。バッハは数々の器楽作品を書いたケーテンでの宮廷楽長時代(1717年~)の後、1723年から1750年亡くなるまでの間,ライプツィヒのトーマス教会のトーマスカントル(音楽監督)を務めました。教会付属のトーマス学校での生徒たちの指導、教会暦に即した毎週のカンタータの作曲に聖歌隊の練習と礼拝での演奏、そのほかニコライ教会や市の行事関連など、多忙な日々を送っていたことでしょう。ここではカンタータのほかにも多くの声楽曲の傑作が生まれました。例えばカントルに着任してまもなくの「ヨハネ受難曲」、1727年「マタイ受難曲」が初演されたのもトーマス教会です。器楽作品では「音楽の捧げもの」など。これは1747年に、当時バッハの次男エマヌエルの仕えていたフリードリヒ2世(プロイセン王)を訪問した際に提示された主題をもとに作曲されたものです。亡くなる前年には「ロ短調ミサ曲」が完成しています。
 
 さて、ホテルから徒歩でドレスデン駅へと向かい、そこからライプツィヒ駅まで急行で一時間ほど。到着すると思いのほか現代的な街の風景です。賑やかな商店街を抜けると、ようやくむこうにそれらしき教会が見えてきました。そして教会の中に入ると・・・・・そこは外の世界とは全然違いました。まず、目には見えないけれど何かがたちこめているようでした。中へ進むとちょうど正午。テクストと楽譜の書かれた紙片が渡され、そのとき居合わせた数名で、牧師さんの後に続いての朗誦、賛美歌。その間もずっと、強いエネルギーのような何かが降り注いでいました。しばらく驚きに包まれた後、外に出てニコライ教会にも足をのばし、街を散策した後、もう一度教会に戻りました。オルガンの練習が始まり、荘厳な音が響き渡りました。ここにはバッハのひいていた古いオルガンもあります。そのとき練習でひかれていたのは新しいオルガンでした。ここでは当時からの時間が現代まで継続して流れている実感があり、それは遠い時代の人だと思っていたバッハの存在を生々しく思わせ、魂を近くに感じさせる空間でした。しばらくオルガンの音を聴いてトーマス教会を後にしました。
 
 今、このときから2年が過ぎています。これを書いて、あの空間で得た温かい光を忘れることなく、これからもできるだけ良いバッハ演奏をしていきたいと改めて思いました。

 

  

by 花村恵理香 

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チイ

 中国では、今日は永遠を表す9の数字が3つ並ぶおめでたい日なのだそうです。さらに、ビートルズのリマスター盤の発売日でもあります。

 最近、ブラームスの「間奏曲」に目覚めました。ショパンのノクターンを聴かなくてもこれで十分間に合いそうです。この3年程の間、全然ピアノを弾いてなかったので、最近久しぶりにショパンの「ワルツ集」の中から簡単な曲を選んで少しずつ練習を始めました。(といっても、もともとバイエル程度の技術しかないので、ワルツ集を弾くこと自体がかなり無謀なことです。)
昔からワルツの3拍子系はどうも体にしっくりこないのです。これは多分、私に限ったことではなく、日本人は本来皆2拍子系なのだそうです。

 バッハの曲の中にもヨーロッパ全土の「舞曲」を題材にしたものがたくさんあります。日本人は、バッハをあまりにも崇高なものとして、まじめにとらえ過ぎる感があると思うのですが、意外とこうしたヨーロッパの舞曲のリズムや音の使いまわしといったことが演奏上の障害になっていたりするような気がします。実際、ヨーロッパの舞曲はかなりハツラツとしているので、体力のない日本人にはしんどかったりします。社交ダンスなどを習ったりした方がいいのかもしれませんね。
by チイ (2009-09-09 20:20) 

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