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東高、春甲子園初勝利おめでとう!!そして今西も初戦突破おめでとう [スポーツ]

 今年度の高校野球春の選抜で、母校の東高(松山東高校)が21世紀枠で出場を果たし、二松学舎大付に5-4で勝利し、みごと初戦突破した。甲子園出場、初戦突破とまさに奇跡的!よく頑張ったね!(甲子園出場は82年ぶりだそうだし、創部124年目の初勝利ということで、まさに記録ずくめ^^;)嫁さんも今西(今治西高校)のOBで、今西も初戦突破したので、愛媛県勢にはこの後も行けるところまで行ってほしい。

 地方の県立高校にはまだ文武両道の精神が残っているのかな?そういう意味では今西は今でも甲子園の常連校なのだからある意味凄いよね。両方とも兼ね備えた人材って、これからの世の中でも多分必要とされる人達なんだろうね。

 それと合わせて、東高や今西には是非、校内にIT関連の部活を作って、その人材育成に力を入れてやってほしいと思う。愛光などはさすがに、部活でかなりIT教育に力を入れているようだ。中高の部活でITお宅をたくさん育てて、その中に学業成績の上位者がたくさんいるといったようにならないと、これからの松山(愛媛県)のような地方都市での地方創生は難しいと思う。最初は、東高や西高のIT部活の外部顧問に、たとえばサイボウズ社社長の青野慶久氏などにお願いするところから始めてみてはどうか?

by チイ


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一万時間ルール [スポーツ]

 錦織圭選手、グランドスラム全米で日本人初の決勝まで進んだが、残念ながら優勝することはできなかった。彼がこのレベルまで到達したことには、13歳からの米テニスアカデミーへの留学が大きいと思われる。ここでは週6日、毎日昼間の8時間テニス漬けの生活となる。日本ではテニスでも野球でもサッカーでも、学生時代は昼間のゴールデンタイムは文科省の定めた一般授業を受けなければならない。練習は授業の終わった午後4時くらいから始まる。日本のアスリートは、所謂アスリートにとっての「死に体」の時間しか練習ができないのだ。将来世界的なアスリートを目指している人にとっては気の毒としかいいようがない。 

 一万時間ルールというのがある。経験則として、どんな分野であろうが、その道のエキスパートになるためには、大体1万時間くらいの技術習得時間が必要であるというものだ。前ブログに「技術的ピーク年齢」のことを書いたが、この2つは通常ペアで適用されることが多い。つまり、ほとんどの分野でその道のエキスパートを目指すのであれば、必要条件として、二十歳くらいまでに、この一万時間ルールをクリアしなければならないということだ。

 今、日本の国内でこのペアルールが暗黙的に適用されているのは、多分アスリートと芸術家の2つくらいだと思う。この2つで世界を目指す人は、多くの場合、文科省の教育方針は完全に無視してやっていると思う。しかし、日本では学問やテクノロジーの世界では一般にこのペアルールは適応されていない。受験が縛りとなって、ほとんどの人が文科省の教育方針に沿って勉強しているので、たとえば博士課程を修了した時点で、その道のエキスパートになれるのであれば、それは28歳を過ぎてからということになってしまう。

 たとえば、ソフトウエアに関してこのペアルールを適応してみると、中高生になって部活でソフトウエアをやりたいと思うような人は、多分小学生の後半くらいから自分が好きでソフトウエアを勉強しているだろうから、小4~6年までの3年間を独学で毎日3時間勉強して、中高の6年間を毎日部活で3時間やったとして、それを大学1年の時まで続けてやっとぎりぎり二十歳までに一万時間をクリアできることになる。この間に、中学受験、高校受験、大学受験があるので、一般的な文科省の勉強もしながらの一日3時間というのは、普通の知能の人には相当厳しいハードルになると思う。

 私自身の感覚では、これからのグローバル化の時代、このペアルールをアスリートや芸術分野だけではなく、学問やテクノロジーの分野まで広げていかないと、日本の国際競争力は低下の一途をたどることになると思う。私がエンジニアになった頃によく言われていたのは、プロセス的なこと(半導体材料や物性的なことなど)はある程度歳をとってからでもやれるが、システム的なこと(アナログやデジタルなどの電子回路)は若い時期にやってないと歳をとってからでの習得は難しいと言われていた。それでも電子回路が産業の中心だった時代には、大学生になってからとか、社会人になってからの20代をがんばれば電子回路のエキスパートにはなれていた。しかし世の中のシステムの中心がソフトウエアになる時代では、20代ではもう遅過ぎるということなのだと思う。

 もちろん1万時間ルールは、ある目安にしか過ぎない。分野にもよるし、もっと時間のかかる人もいれば、もっと短い時間で習得できてしまう人もいる。そしてそれは必要条件であって、十分条件ではないということです。1万時間をクリアした人が全てエキスパートになって創造的で生産的な仕事ができるとは限りません。学びの受け身だけの勉強が得意な人もいるからです。そういう意味でも、この必要十分条件を満たす人材は希少価値になってきます。従来型ではない、アスリート、芸術家以外のこれら希少価値の人材育成が急務になってくると思われます。

by チイ


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高校野球と文武両立 [スポーツ]

 今年の高校野球の愛媛大会は、第3回戦で安楽投手擁する済美が敗退するなど波乱の幕開けとなったが、何と驚いたことに私の母校が44年ぶりのベスト4を突破して決勝までいった。結果は残念ながら、10-1の大敗でその力の差は歴然としていたが、もしまぐれでも運よく甲子園出場なんかしてたら、大変な事になっていただろう。

 私の母校は県立高校では、県下一の進学校だったので、その高校が決勝まで行くというのは本当に大変なことなのです。(神奈川県で言えば、湘南高校が決勝に進むようなものです。)愛媛県には愛光学園という私立の中高一貫の進学校(灘高や開成、ラサールに並ぶ進学校です。)もあるのですが、これらの進学校が甲子園やその予選に出たという話は聞いたこともないし、多分高野連にも入ってないと思います。でも地方の名門の県立高校では、いまだ文武両道の精神を尊ぶ気風のようなものがあるのです。

 私が在学中によく言われたのは、野球やサッカーなどの体育会系の部活をやりながらでも受験勉強を両立させて、東大に行くことはできる。(もちろんこれには条件があって、IQの高い人だけです。)でも、本を読む時間はなくなるというものでした。当時の野球部などもグラウンドが真っ暗になる20~21時頃まで練習していたと思います。こういった体育会系出身の乗りの人は、昔の高度経済成長期の時代には重宝され、今でも例えば文系で政治家を志すような人達にとっては意味があることなのかもしれません。

 でも時代は大きく変わろうとしています。今理系の世界で、高校時代に運動部活と受験勉強だけして京大や東大に入ったとしても、その人は間違いなく京大や東大の中ではビりケツになってしまうと思います。(何事にも例外的な人というのはいます。でも理系の場合、大器晩成型というのはものすごく確立が低いです。)これは前回のブログに書いた「技術的ピーク年齢」にも関係しているのですが、時代の主流が、ハード→ソフトに移っていく過程でその差はもっと顕著になっていく傾向にあると思います。

 私は運動もそれなりに出来たので、中高は体育会系の部活に属していた(高校では途中で止めてしまって、その後特にやりたいこともなかったので、ダラダラと過ごしてしまった^^;)のですが、今考えてみてそのメリットはほとんどなかったように思います。私が今高校生ならマイコン部にでも入ります。私が在学していた時はまだマイコン部はありませんでしたし、今あるのかどうかも知りませんが、なければ自分で作ります。そして英語版のマイコンキットを購入して、それを組み立てたり、ソフトウエアを書いたりみたいなことをすると思う。

 今現在、愛光や東高にマイコン部みたいなものはあるのだろうか?無ければ、早急に作った方がいいと思う。松山には今治西高校出身の青野慶久氏が社長を努める「サイボウズ」の支社もある。年に何回かサイボウズ社の第一線のソフトエンジニアを呼んで話を聞くとか、指導を仰ぐなどの取り組みもやったらいいと思う。また、愛大のコンピュータ関連学部の工学部や理学部の教授や院生、大学生との交流なども活発に進めればいいと思う。(本当は、この辺は塩崎さんのような政治家に音頭を取ってもらって、是非とも進めてもらいたい。)大学生になってから、本格的にソフトウエアを書き始めるでは、もう完全に遅すぎるのだ。

 本当は文武両道は理想です。しかし、運動部活をやりながら、受験勉強をして、もっとその先の大学や大学院までの範囲も勉強して、語学も何カ国かは勉強して、教養としての読書もいっぱいして、その上コンピュータソフトもたくさん勉強する・・・。そんなことは多分IQが200くらいある人でないと出来るわけはない。自分のIQに応じて、そのうちの何かを優先順位の低い順に捨てるしかない。インターネットの時代だとはいっても、文科省の設けた範囲の縛りみたいなものは、地方にいくほど顕著なる。(そして、まじめな人ほどそれにトラップされやすい。)これからは昔の文武両道だけでは地方の名門県立高校は疲弊していくだけだと思う。

by チイ


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サッカーにみる身体性 [スポーツ]

 今回のサッカーのブラジル・ワールドカップの日本代表は、グループステージ敗退という残念な結果に終わってしまったが、まるで8年前のジーコ・ジャパンの時のドイツ大会の再現ビデオを見せられているような戦いだった。スペインのグループステージ敗退からも分かるように、パス・サッカー自体がこの4年間で研究されつくされた感があって、それだけで決勝トーナメントに進むのは難しいと感じた。
 
 勝ち進んでいるチームを見てみても、FWである程度の長い距離をドリブルできる選手がいないチームは勝ち進むのは難しい。これからは日本代表もFWにドリブルができる選手を起用していかないと、パス・サッカーだけに頼っていたのでは、だれが監督になろうが結果は同じことの繰り返しになると思う。攻撃の基本はドリブルとパスの組み合わせを変幻自在に変えていくことになるわけだから、その一方がないとどうしても攻撃そのものが単調になってしまって、見ていても面白くない。

 サッカーはイングランド発の狩猟民族の典型的な点取りゲームなのだが、ヨーロッパはさすがに発祥の地だけあって、白人の選手には、彼ら独特のサッカーに必要なボールをトラップしたり、パスしたり、ドリブルしたり、シュートしたりといった身体性があるし、またドイツに代表されるようにヨーロッパは、組織的なプレーも得意だ。一方、南米のチームは、地元インディオと黒人と白人の血が混じった、南米独特に進化したサッカーの身体性みたいなものを感じる。たとえば敵をかわす上半身の動きであったり、ドリブルを踏むステップ(南米の選手は後打ちのリズムでドリブルする選手が多い)など、それらは彼らの体の中から自然に沸き上がってくるものだ。アフリカの選手は、その圧倒的な身体的能力の高さを持っている。

 ところが、残念なことに日本選手には、自分たちが本来持っている身体性で、それがサッカーの動きに合っていると感じられるようなものがあまりない。技術はそれなりに高いのだが、それはあくまでいい所取りで真似をした借り物の技術であって、自分たちの体の中から自然と沸き上がってくるようなものではない。それに日本選手はセットプレーなどの止まっているボールの扱いは上手だが、動いているボールを扱うのは下手糞だし、流れの中で力強い正確なシュートも打てない。よく体の大きさやフィジカルの強さのことなども言われるが、ブラジル代表にしたって、体格的には日本人とはほとんど差がない。アジアの農耕民族には、サッカーは元々合ってないのかもしれない。

 身体性というと、思考にもその民族特有の身体性みたいなものがあると思う。たとえば、ユダヤ人の思考の身体性の特徴は、そのスケールの大きさにあると思う。クラウドのようなものは日本社会からは絶対に出てこないと思う。誰が一千万台を超えるようなサーバー群にデータを集めたり、またそのデータを管理、制御するためのソフトウエアを書いたりというようなことを考えるだろうか?それを技術的に本当に実現してしまったわけだから、その段階でもう勝負ありといったところだろう。応用するにしてもユダヤ人はスケールがでかい。アインシュタインは、重力を幾何学化して、それまで抽象数学の産物で何の役にも立たないと思われていたリーマン幾何を使ってみせた。

 またユダヤ人は昔から世界標準のプラットフォームを作るのが得意だ。量子力学では基礎方程式としてシュレディンガーが「波動力学」をつくり、ハイゼンベルクが「行列力学」をつくり、科学の世界ではそれらは同等のものであることが証明されているが、実際に使われるのはシュレディンガー方程式の方が遥かに多い。また点電荷の発散の問題を解決する「くりこみ理論」は、朝永振一郎が「超多時間論」を、ファインマンが「経路積分」を使って解決して、それらの同等性も証明されているが、実際に使われるのはファインマンの経路積分の方が遥かに多い。科学の世界ではこれらは勿論同等に評価されているが、工学上の世界的なプラットフォームという意味においては、ユダヤ人の作ったプラットフォームの一人勝ちといったところだろう。

by チイ

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日本のサッカー [スポーツ]

 今週の金曜日からいよいよ2014ワールドカップブラジル大会が始まるが、今回のザックジャパンはどこまで勝ち進めるのだろうか?今回1次リーグで日本が入っているC組は突出したチームもなく籤運にも恵まれてはいるが、いずれにしても今の日本のFIFAランクは40番台の後半で、出場チーム中、後ろから4、5番目らしいので、実力から考えた場合、過度の期待はしない方がいいのかもしれない。

 1次リーグを突破できたのは、2回目と前回の4回目の南アフリカ大会だけなので、周期的には今回は突破できないサイクルに当たっている。また朝日新聞の記事を見ていて気が付いたのだが、以外にも海外組の選手が多い年は突破できていない。特に今回は海外組選手が過去最多で、しかも名門クラブで長い間ほとんど使ってもらえていない選手や故障者が多いので、そういう意味でも今回はかなりきびしいかもしれない。

 ただ今回注目すべきは、大会前のNHKのザックジャパンの特集番組ではじめて知ったのだが、今回のチームはオフェンスを中心にチームを構成しているらしい。これまでの日本代表はジーコの時を除いては全てディフェンスを中心にチームを構成していた。ここのところ、ディフェンスがかなり失点してしまうという試合が続いていたので心配していたのだが、ディフェンスが失点する確率は高いが、それでも攻撃的なサッカーをぶれないで貫き通すということらしい。私もいままで日本サッカーはずっと守備中心の時代が続いたので、一度攻撃型のサッカーをやってみてもいいのではないか?と思っていたので、今回はその良い機会になるだろう。

 ジーコが監督の時代は、守備、攻撃どちらを中心にするか?というような選択ではなくて、多分選手の自主性を一番大事にしたのだと思う。ジーコはブラジル代表を扱うように日本代表を大人として扱ったのだと思う。これは学問で言うと、いきなり本物の学問に直結するような教え方だと思う。これが出来るのはおそらく東大や京大の上位1割くらいの人達だけだろうから、日本代表がまだそのレベルには達していなかったのだろう。ある程度範囲を設けて、決まり事や約束事を作ってやった方が今の日本のサッカーのレベルには合っているということなのだと思う。

 今回の攻撃型サッカーでも日本の攻撃スタイルは基本はパスサッカーになると思う。どのようにしてパスで相手の守備体系を壊して得点するか?ということになると思う。日本の得点パターンって、最後までパスを繋ぎきって、最後もインサイドキックでゴールにボールを流し込むようなシーンや相手の裏をつくような動きやスルーパスで得点するシーンが多い。ただ、ワールドクラスとの対戦になると、さすがにパスサッカーだけでは通用しなくなる。相手もそのつもりで予測して守ってくるだろうし、いずれにしてもパスだけだと攻撃にメリハリが無く、単調になって見ていても面白くない。

 日本代表の試合を見ていていつも思うのは、自分の前に大きなスペースがあるような場合でも、そこに自分でドリブルで切り込んでいかないで、すぐに味方にパスをしてしまうようなシーンが多いということだ。またブラジルのようなレベルの高いチームだと中盤からすぐにプレスをかけられて、パスをした瞬間に相手選手が寄ってきてパスコースを消されてしまったような場合の対処の仕方だ。日本のFWにネイマ―ルやメッシのようにドリブルで切り込んでいって、フェイントで2、3人交わして、最後に力強いインステップキックでシュートするというようなことはなかなか難しいのかもしれない。でも、ペナルティーエリアの近くでスペースがあった場合は、何回かに一回は自分でドリブルで仕掛けてほしい。たとえ失敗しても相手も個人技を警戒しなくてはいけなくなるので、その分ヴァリエーションが増えてパスも通りやすくなる。

 今回は日本代表にとっても攻撃型サッカーははじめての試みになるわけだから、色々なヴァリエーションを試してほしい。間違ってもゴールすることではなくて、綺麗にパスを繋ぐことだけに注力するような試合だけはしてほしくない。何事もバランス感覚が重要だ。勝負しなければいけない時は失敗してもいいから個人技で果敢に攻めてほしい。

by チイ


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フィギュア~ノーミスの壁~ [スポーツ]

 昨日、一昨日のソチ冬季五輪の女子フィギュアをご覧になった方も多いと思う。特に女子は上位3人のだれが金メダルを取ってもおかしくないような激戦だった。私は、ショートの浅田真央ちゃんの演技はとても最後まで見ることはできなかった。しかし、フリーでは見事に立て直して、最高の演技をしてくれて最後の方には本当に涙が出てきた。本当にお疲れさまでした!!

 私の女子フィギュアの理想形は、サラエボで優勝したカタリ―ナ・ビットの滑りだ。しかし女子フィギュアもここ数十年くらいの間にジャンプの技術難易度が増していって、今のル―ルで全盛期のビットが優勝できたかどうかはかなり疑わしい。今のアスリートは、皆、まさに紙一重のぎりぎりの所で戦っているのだ。その大変さを思うと、本当に胸が熱くなってしまう。

 今回男子フィギュアは日本の羽生結弦が圧倒的な強さで優勝したが、試合が終わってから、私は少し変な気分になった。というのも私がこれまで見てきた歴代の優勝者はジャンプを含めて全てほぼノーミスで演じきっていたからだ。男子は4回転ジャンプを跳ぶのが当たり前になってきていて、このままジャンプの技術難易度が上がっていくと、しまいには本当に優勝者でショート、フリーとノーミスで滑り切る人はいなくなってしまうかもしれない。

 私は(他の人もそうだと思うが)、ジャンプの転倒を見るのは好きではない。こけてしまうと、そこで演技の流れが完全に断ち切られてしまうからだ。もともと優雅さや美しさを競い合うフィギュアで転倒するということは最も恥ずかしいことで、そのリスクを常に背負いながら高度なジャンプを跳ばなければいけない今のフィギュアは他人事ではなく、本当に大変だと思う。(ピアノの演奏でたとえるなら、難しいパッセージが弾けないで、そこで止まってしまうようなものだ。)

 私個人としては、今回のフリーの最高得点者は浅田真央で、優勝者はキム・ヨナだと思っている。真央ちゃんは残念だけれども、アスリートとしては後半のフィギュア人生で、キム・ヨナに完全に抜かれてしまった。(多分前回のバンクーバー五輪の前あたりまでは真央ちゃんの方がキム・ヨナより実力が上だったが、そのあたりから完全に追い抜かれてしまった。)実際、今回のショート、フリーともにキム・ヨナはほぼノーミスだった。前回のバンクーバーからミスはほとんどしていないし、その安定感は女子フィギュアの女王と呼ぶにふさわしいものだった。今回は2連覇がかかっていたこともあり、優勝していても全くおかしくない出来だったように思う。

 ノーミスというと、私はショパコンのようなピアノコンクールを思い出してしまう。フィギュアと同じで、有名な国際ピアノコンクールで、ほぼノーミスで優勝を争えるのはほんの数名の上位者だけだ。私はショパコンなどでの上位者の演奏を聴いている時も、他人事とは思えないくらいガチガチに緊張して聴いている。キース・ジャレットのコンサートを聴きに行った時でも、最初の数10分くらいの間は、聴いているだけでガチガチに緊張してしまう。(即興演奏だから好きに弾いているんだから、何で緊張するの?と思われるかもしれないが、実際そういった雰囲気の中での演奏になるのです。)

 アスリートや演奏家は皆ノーミスの壁に悩まされ、苦しめられる。もちろん、ノーミスだからといって、それが即感動的な演技や演奏に繋がるわけでもない。しかし、ノーミスの壁を克服しない限り、本当の感動はないことも事実だと思う。

by チイ


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