値渡し(call by value)と参照渡し(call by reference) [コンピューター]
Cの配列とポインタの問題 [コンピューター]
ブロックチェーンのプラットフォーム(ポストGAFA/BATH) [コンピューター]
21世紀のAIの覇者はイスラエルになっているかもしれない [コンピューター]
今世紀中頃までのコンピュータ・サイエンスの進展がその後の世界を決めてしまうかもしれない [コンピューター]
人が実質プログラムを書く時間はもうあまり残っていないのかもしれない [コンピューター]
スーパーインテリジェンス [コンピューター]
サーバーの中のロボット [コンピューター]
情報革命の後に、「ロボット革命」の時代が訪れると言う人もいます。私は、ロボット革命は、情報革命の中の「AI革命」の中で起こるだろうと思っています。後5年後くらいからロボット革命の時代がはじまり、30年後~300年後は、パソット(persot: personal-robot)の時代に、300年後より先はヒューロ(huro: human-robot)の時代になると言う人もいます。
ロボットの明確な定義自体も難しくて、ロボットにも色々なロボットが存在します。ちょっとものの本に書いてあったものを挙げてみるだけでも、ヒト型ロボット、ペットロボット、ロボットアーム、無人搬送ロボット、惑星探査ロボット、ロボットスーツ、掃除ロボット、蛇ロボット、海洋ロボット、原子炉防災ロボット、魚ロボット、もぐらロボット、対話ロボット、案内ロボット、溶接ロボット、電子部品実装ロボット、地雷探知除去ロボット、救助ロボット、兵器ロボット、etcなどがあります。
上に書いたものは、全て「目に見えるロボット」です。ロボットにはそれ以外にも「目に見えないロボット」として「サーバーの中のロボット」があります。目に見えないと言っても、実態はサーバーの中のハードウエアの中にあるわけですが、それがあちら側の世界のサーバーの中にあって、実際のサーバーの中のどの部分を使っているかがはっきりしないというだけなのですが。
日本人と欧米人のロボットに対する考え方の違いのようなものもあるようです。一般的に日本人はヒト型のロボットに関してはまったくと言っていいほど抵抗感はありませんが、欧米の人はヒト型ロボットに関してはかなり抵抗感があるようです。(人に近づけば近づくほどその感情は強くなるようです。)一方で、日本人は目に見えないロボットに関しては全く無関心であるのに対して、現在欧米ではロボットと言えば、半分くらいはこの目に見えないロボットになります。
目に見えないロボットの代表格は、たとえば金融取引などで使われている「ロボ・トレーダー」や「ロボ・アドバイザー」などがあります。また、ウイルス対策ソフトを制作しているメーカーの「ウイルス・対策ソフト」などもこれに含まれると思いますし、広い意味では「クローラー」などもこれに含まれると思います。最近ではフィンテック(FinTech)の流行にあいまって、欧米では人工知能と言えば、半分くらいはこの裏の世界での競争になっています。
ロボットに関しては、昔から「知能」は身体性を持ったものに宿るという考え方もあるわけで、(ただし、これが完全に正しいと証明されているわけではない。)日本人的な感性から言うと、AGIはヒト型ロボット(目に見えるロボット)から生まれると考えているのでしょう。でも私は、AGIは最初はサーバーの中のロボットから生まれてくるような気がするのです。理由は、ソフトウエアを書くという仕事に集中できることと、自律的なソフトウエアを書く対象がサーバーの中のロボットの方が限られているので、最初のブレークを起こすのにはこちらの方が適しているということです。
日銀は、量的緩和で市場に何百兆円といったお金をばら撒いてしまいました。その理論の支柱であった、クルーグマンも浜田氏もその理論の間違いを認めました。その内の1兆円でもいいから、サーバーの中のロボットの開発のような意味のあることに使っていればと思ってしまいます。日本人にできないのなら、オール海外からスカウトしてきた人材に開発してもらってもいいように思います。AGIが最初にサーバーの中で開発されてしまえば、後は最悪、それを所有する個人や企業に世界中の金融の富を搾取されることになってしまって、世界経済は終わってしまうかもしれません。
by チイ
第3次AIブームの背後にあるもの [コンピューター]
ある人がアルファベット(グーグル)のことを、「彼らを単に、技術やビジネスの観点だけからとらえてはならない。インターネットや人工知能技術の基層には、高みをめざす長い一神教(ユダヤ=キリスト教)の伝統で培われた普遍主義、ロジカルな真理を地上で実現しようとする強烈な理想主義がある。」と言っていた。
一方でまた、日本のIT専門家の中で、ユダヤ=キリスト教の一神教を背景にしたシンギュラリティ仮説を本気で支持する者は、実はほとんどいないらしい。にもかかわらず、日本のIT業界は原則として、徹底した欧米追従であり、基本的に欧米技術を尊敬しているので、トピックスになっているビッグデータやAIについて、最新技術をキチンとフォローしようとする。さらに、技術的な細部の工夫や効率化に努力をそそぎ、短期的な成果をあげようと必死になるらしい。
AGIである脳型AIには、「全脳エミュレーション」と「全脳アーキテクチャ」の2つがあるが、全脳エミュレーションは、脳の神経系のネットワーク構造の全てをナノボットを使ってスキャンしてコピーして、コンピュータ上で再現しようとするもの。(=マインド・アップローディング)まさに、「パターン主義」そのものだが、カーツワイルはその実現を本気で信じているようだ。(さすがにここまで来ると、私も???と思ってしまう。)全脳アーキテクチャは、脳の各部位ごとの機能をプログラムとして再現して、その後それらを結合する方式で、日本では、2015年に「全脳アーキテクチャ・イニシアティブ」というNPO法人として組織化されている。
日本人は、ユダヤ=キリスト教のバックグラウンドにある、そのすさまじいまでの知的スケールに圧倒されてしまって、それを全面的に受け入れるのは難しい様だ。しかし、それを否定するのは簡単だが、それに代わる何か日本的なバックグラウンドがあるのかと言うと、???である。もう「和魂」などと言い出した途端に、TVのスイッチを切ってしまうのは私だけではないはずだ。結果、日本人の仕事は、人間世界に最後に接続する部分だけを、日本人独特の美意識を持ってやるしかなくなる。
日本の工学部は、欧米の自然科学から、「唯物質論」を「唯物論」として間違って導入していて、それに「エジソンメソッド」(現象論的に物事をとらえてやっていく方法)と日本人独特のモノ作りに関する美意識みたいなものが加わった、寄せ集めの何かよく分からないものになってしまっている。さらに、そこには「パターン主義」が皆無なので、21世紀の工学という意味ではさらに分が悪い。また、日本の理学部はあってないようなものだと思う。どれだけ優秀な人がいたとしても、一石を投じるくらいが関の山だろう。水面に波紋を生じさせるくらいのことしかできない。
結局の所、AGIも欧米に全てをおぜん立てしてもらって、最後の応用と実用化の部分で負けなければよいという考えでは、何度やっても、いつか来た道を繰り返すだけだ。故糸川英夫が昔日本の産業界が絶好調だった時代に、東京在住の牧師の話をよくしていた。「今日本は、自動車やビデオを作ることに関しては世界一でしょう。でも日本が絶対に忘れてはいけない事実がある。西洋の世界はそのギリギリの存在のためには、日本との関係を絶ってもその存続が可能だ」と。残念ながら、日本には技術やビジネスだけしかない。自らが戦術バカで戦略音痴であることを世界に向かって公言しているようなものだ。
by チイ
人はパターンをつくりたがる動物である [コンピューター]
最近、図書館でホフスタッター著の「ゲーデル、エッシャー、バッハあるいは不思議の環」(俗にGEB本と呼ばれている)を借りて読んでいたのだが、ページ数が800ページほどもあり、借り出し期間の2週間ではとてもではないが私の頭では読み切れるものではないことが分かったので、7月のはじめ頃に早速Amazonでその「20周年記念版」を買ってしまった。この本はいまから約30年くらい前に第一版が発行になっていて、今ではコンピュータ・サイエンスの古典とも言える本だ。当時、日本の「第5世代コンピュータ」を指揮された渕一博氏などもよく読まれていて、海外では多くの物理屋さんがこの本を読んでAIやコンピュータ・サイエンスの分野に転身していった。
さすがにもう30年以上もたっているので、最初は買う気は全くなくて、図書館で借りて興味本位でどんなものなのか見てみよう程度だったが、読んでいるうちに、これは熟読して完読しなければいけない内容で、コンピュータに携わる者はいつも手元に置いておかなければいけない本だと分かったので、すぐに買うことに決めた。ホフスタッター自身、物理屋さんでこの本を執筆した後人工知能の分野に転身した人で、この本自体は所謂コンピュータ・サイエンスの専門書ではないが、その内容は専門書にも匹敵すると思うし、ミュージシャンや美術関係者の中にもこの本を愛読されている人はたくさんいるようだ。(ただ、それらの数理的な内容に興味が無い人には、読むのは少ししんどいかもしれない。)
最近書いたブログ(2016-05-08)「超越としてのシンギュラリティ」の中で、私が罫線で囲ったカーツワイルが言っている文章の中身をもう一度読み返してほしいのだが、このGEB本は、まさにそこで書かれていることを、コンピュータ(ソフトウエア)、音楽、美術の観点から実際に具現化してみせている。そういう意味では、ホフスタッターは物理屋さんであるが、カーツワイルと同じ、「パターン主義者」であることがよく分かる。カーツワイルもホフスタッターも、彼らは、Materialism=唯物質論者(唯物論者ではない!!)であると同時に、パターン主義者でもあるのだ。
それにしても、ホフスタッターのこの教養の広さは一体どこから来ているのだろうか?この本もそうだが、海外の著名な科学者が書いた一般向けの解説者は分厚い。私はリサ・ランドールの書いた訳書は全て持っているが、大体500~600ページほどのボリュームがある。日本の科学者が書いた一般向けの書籍はと言うと、大体200~300ページほどで、おこずかい稼ぎのために書きましたというような内容ばかりだ。一番ひどいのが、工学部の先生の書いた本で中には100ページくらいのものもある。内容は言うと、応用のことしか書いていなくて、しかも数式などを端折ってわざと難しく書かれてあって、盗まれるのが嫌なら最初から書かなければいいのにと思うような内容ばかり。
今は第3次のAIブームなので、もう一度、このGEBを読み直してみるいい機会かもしれない。思うのだが、AGIをつくるために必要なことは全てこの中に書かれているような気がする。ただ、まだホフスタッターを含めてAGIは完成されていないので、何かが足りないのか、書かれている中で重要な見落としのようなものがあるのかもしれない。ホフスタッターは、GEB20周年記念のための序文の中で次のように書いている。
GEBは生命のない物質から生命のある存在がどのように生まれるかを述べようとするたいへん個人的な試みだ。GEBは、生命のない分子を意味のない記号に、さらに自己を特別な、渦のような、意味のあるパターンになぞらえる。この本は、こうした奇妙な捩れたパターンにページを費やしている。それは、そうしたパターンがあまり知られておらず、あまり理解されておらず、直感に反し、謎に満ちているからだ。そして、私はこの本で、このような不思議な環状のパターンを「不思議の環」と呼ぶ。
by チイ