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人はパターンをつくりたがる動物である [コンピューター]

  最近、図書館でホフスタッター著の「ゲーデル、エッシャー、バッハあるいは不思議の環」(俗にGEB本と呼ばれている)を借りて読んでいたのだが、ページ数が800ページほどもあり、借り出し期間の2週間ではとてもではないが私の頭では読み切れるものではないことが分かったので、7月のはじめ頃に早速Amazonでその「20周年記念版」を買ってしまった。この本はいまから約30年くらい前に第一版が発行になっていて、今ではコンピュータ・サイエンスの古典とも言える本だ。当時、日本の「第5世代コンピュータ」を指揮された渕一博氏などもよく読まれていて、海外では多くの物理屋さんがこの本を読んでAIやコンピュータ・サイエンスの分野に転身していった。

 さすがにもう30年以上もたっているので、最初は買う気は全くなくて、図書館で借りて興味本位でどんなものなのか見てみよう程度だったが、読んでいるうちに、これは熟読して完読しなければいけない内容で、コンピュータに携わる者はいつも手元に置いておかなければいけない本だと分かったので、すぐに買うことに決めた。ホフスタッター自身、物理屋さんでこの本を執筆した後人工知能の分野に転身した人で、この本自体は所謂コンピュータ・サイエンスの専門書ではないが、その内容は専門書にも匹敵すると思うし、ミュージシャンや美術関係者の中にもこの本を愛読されている人はたくさんいるようだ。(ただ、それらの数理的な内容に興味が無い人には、読むのは少ししんどいかもしれない。)

 最近書いたブログ(2016-05-08)「超越としてのシンギュラリティ」の中で、私が罫線で囲ったカーツワイルが言っている文章の中身をもう一度読み返してほしいのだが、このGEB本は、まさにそこで書かれていることを、コンピュータ(ソフトウエア)、音楽、美術の観点から実際に具現化してみせている。そういう意味では、ホフスタッターは物理屋さんであるが、カーツワイルと同じ、「パターン主義者」であることがよく分かる。カーツワイルもホフスタッターも、彼らは、Materialism=唯物質論者(唯物論者ではない!!)であると同時に、パターン主義者でもあるのだ。

 それにしても、ホフスタッターのこの教養の広さは一体どこから来ているのだろうか?この本もそうだが、海外の著名な科学者が書いた一般向けの解説者は分厚い。私はリサ・ランドールの書いた訳書は全て持っているが、大体500~600ページほどのボリュームがある。日本の科学者が書いた一般向けの書籍はと言うと、大体200~300ページほどで、おこずかい稼ぎのために書きましたというような内容ばかりだ。一番ひどいのが、工学部の先生の書いた本で中には100ページくらいのものもある。内容は言うと、応用のことしか書いていなくて、しかも数式などを端折ってわざと難しく書かれてあって、盗まれるのが嫌なら最初から書かなければいいのにと思うような内容ばかり。

 今は第3次のAIブームなので、もう一度、このGEBを読み直してみるいい機会かもしれない。思うのだが、AGIをつくるために必要なことは全てこの中に書かれているような気がする。ただ、まだホフスタッターを含めてAGIは完成されていないので、何かが足りないのか、書かれている中で重要な見落としのようなものがあるのかもしれない。ホフスタッターは、GEB20周年記念のための序文の中で次のように書いている。

 GEBは生命のない物質から生命のある存在がどのように生まれるかを述べようとするたいへん個人的な試みだ。GEBは、生命のない分子を意味のない記号に、さらに自己を特別な、渦のような、意味のあるパターンになぞらえる。この本は、こうした奇妙な捩れたパターンにページを費やしている。それは、そうしたパターンがあまり知られておらず、あまり理解されておらず、直感に反し、謎に満ちているからだ。そして、私はこの本で、このような不思議な環状のパターンを「不思議の環」と呼ぶ。

2016070212090001_cut.jpg

by チイ


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