羽生さんの永世7冠達成 [風物]
もうすぐ桜の季節ですね!! [風物]
今年も、もうすぐ「桜」の季節ですね。日本人で、桜の嫌いな人っていないんじゃないでしょうか?
昔、植民地だった東南アジアの人が、
・白人は海岸に鎮座する巨大な岩で、波や風にもびくともしない。(とても排除することができない。)
・華僑は、その岩に生えているコケだ。(それ自体弱い存在だが、そこに根ずいて排除することができない。)
・日本人は、海岸の砂利だ。(調子のいい時は徒党を組んでやって来て、調子が悪くなると人っ子一人いなくなってしまう。)
と言ったそうです。
良くも悪くも「桜」は、そんな「一発屋」の日本人を象徴する花だと思います。少し早いですが、下記の曲で桜を満喫してください。
by チイ
日本の清流 [風物]
最近、BSかNHKの番組で日本の清流の紹介で「仁淀川」の特集が上映されていた。特に最近、日本の最後の清流と言えば、「四万十川」や「仁淀川」などの四国の河川が紹介されることが多くなってきているように思う。昔は、日本の清流と言えば、富士の湧水の「柿田川」や釧路湿原の「釧路川」などの他にも東北地方や信州などにも清流と言われるような河川はまだたくさんあると思っていたのだが、最近はどうなのだろうか?四国は列島の中で、まだ新幹線も走ってないような僻地なので、自然が一番荒らされていないということなのだろうか?
私の実家は、松山市内の国道33号線沿いにあるのだが、この国道33号線は愛媛県の松山市から高知県の高知市に至る国道で、仁淀川はこの33号線沿いを併走するように流れている。仁淀川は高知県を流れている河川であるが、その源泉の一つは愛媛県側の石鎚山山麓の面河渓谷から発していて、四国を愛媛県側から高知県側に北から南に横断して大平洋に注ぐ大河なのである。面河渓谷は高校1年の時の野外活動の一環のサマーキャンプで行ったこともある。映像の中で、夏、仁淀川で泳ぐ子供たちの映像が紹介されていた。今日本の河川の中で、水質を気にしないで夏に子供たちが自由に泳げる河川って、どれくらい残っているのだろうか?
私は小学校5年生の時まで、愛媛県の宇和島市という所で育った。宇和島市の周りには、薬師谷渓谷や滑床渓谷などの清流があって、私が子供の頃はその清流で子供たちが自由に泳ぎまわっていた。私が住んでいた宇和島市内のすぐ近くの川でも、夏の夜になると蛍が飛んで来るのは当たり前の光景だった。(今では、蛍は清流にしか生息しないと言われているが。)今の子供たちの中で、夏の風物詩として、清流や蛍が日常にある生活をおくれている子供たちはどれくらいいるのだろうか?子供の頃にこうした自然と触れ合う機会を持つのは、大人になってからも貴重な体験としてその人の財産になるはずなのだが。
高知のもうひとつの清流である「四万十川」も、一時期は日本の最後の清流として騒がれた時期もあったが、今はどうなのだろうか?四万十川はカヌーやカヤックをやる人のメッカ(聖地)になってしまってからは、かなり荒らされてきているのではないだろうか?グーグルアースで四万十川を検索していると、四万十川の支流で「黒尊川」というのを見つけた。黒尊川は、現在四万十川の支流の中では最後の清流と言われていて唯一人の手の入っていない河川らしい。この黒尊川は宇和島市の鬼ヶ城、三本杭(さんぼんぐい)、権現山などの1000m級の山を源泉にして高知県側を流れている河川で、県境のそうとうな僻地な場所である。「鬼ヶ城」や「権現山」は私が子供の頃に住んでいた宇和島の家から直に毎日眺めていた山だが、結局一度も登ることはなかった。死ぬまでには、一度、鬼ヶ城->三本抗->黒尊川->四万十川のコースを辿って、大平洋まで行ってみたいと思っている。
byチイ
英才教育(相聞花伝ブログ100回目記念記事) [風物]
相聞花伝ブログも今回めでたく100回目記事となりました。記念に宮崎さんに英国からの記事を書いていただきました。
「英才教育」
私事だが、我家の14歳になる娘はテニスを真剣にトレーニングしており、プロ養成のジュニアテニスアカデミーに所属して練習に励んでいる。平日は学校とテニスクラブを往復するのでその送り迎え、またほぼ隔週で試合があり、遠征先も英国内に留まらず、ヨーロッパ各地・中東にまで広がり、その都度親が同行するので、親の負担は半端なものではない。
きっかけは彼女が6歳のとき。当時我家はスイス駐在だったが、軽い気持ちで小学生だった息子と娘にテニスを習わせたのがはじまりである。初日、1時間のレッスンが終了するなり、私はコーチに呼ばれた。
「ミセス・ミヤザキ、どうやらこの子は特別な才能があるようだ。遊びではなく真剣にテニスをさせてみてはどうか?」
子供用のおもちゃのようなラケットで、スポンジボールをポンポン打っているだけの子に一体何を言っているのかと、私は呆気に取られていたが、彼の話はさらにこう続いた。
「テニスというのは非常に特殊なスポーツで、本人の資質だけでなく、優れた指導者と親のサポートが必要で、この三位一体がバランスよく揃わなければならない。まさに音楽でいえば、ピアノやヴァイオリンを専門にさせるような特別な環境が必要なので、家族でよく検討してほしい。」
私は、体の中で何か新しいエネルギーが動き出すのを感じ、とっさにこう答えた。
「私はプロのピアニストです。」
すると彼はこう言った。
「それなら話は簡単だ。貴女の母親がしてきたことを、貴女はすればいい。」
その日から、テニスプレーヤーを目指すべく娘の英才教育が始まった。
同じ頃スイスで私は、ある韓国人の天才ヴァイオリン少女Yちゃんの専属ピアノニストをしていた。Yちゃん一家は、Yちゃんのヴァイオリンのために韓国からスイスに移住していた。
やはりヴァイオリニストの父親と作曲家の母親の間に生まれたYちゃんは、両親から受け継いだ類いまれな才能を幼少時より発揮し、6歳のときに巨匠ティボール・ヴァルガ氏の目に留まり、氏が50年ヴァイオリンの指導をしてきて初めて出会った逸材 と言わしめた。それから数年間、Yちゃんは春・夏・冬の学校の休みに氏のレッスンを受けるために、母親に連れられて韓国から氏の住むスイスを訪れる生活を続けたが、Yちゃんの上達は目覚しく、Yちゃんのためにヨーロッパでの生活が必要と考えた両親は、一家でスイスに移住することを決意する。当時Yちゃんの父親は、ソウルのシンフォニーでコンサートマスターを務め、音楽大学で次々と弟子をジュリアードやウィーンに送り込む敏腕教授として活躍していたが、そのキャリアをバッサリと切り捨てた。
私は、Yちゃんの伴奏をしながら、彼女の両親から子供の才能を伸ばす“英才教育”のあり方、親の姿勢を直に学んだ。目標を目指し、まさに親子二人三脚である。
これは楽器やスポーツに限ったことではなく、芸能の世界でもあてはまり、ステージママの例えによく出される“美空ひばり”の母親などが良い例ではないだろうか。我々クラシック界の大先輩・小澤征爾先生や中村紘子先生の母君も、そのステージママぶりはあまりに有名である。
活躍する子供を持つ親はよく口を揃えて
「いえいえ、私はなーんにもしていませんのよ。この子のやりたいことをやらせているだけです。」
と言うが、それは大嘘である。その言葉の陰には、他には見せない大変な努力と忍耐が存在する。
また一方で、親が頑張りすぎるあまり子供にプレッシャーをかけ、未来ある才能をつぶしてしまう不幸な例もある。そのあたりのサジ加減、精神的なコントロールが重要である。
天から授かった子供の才能を生かすも殺すも親次第・・・
各界で活躍する人々を見るにつけ、私は決して表には出ないその親の努力と功績を称えずにはいられない。
2010年2月 ロンドン
宮崎章子
ドイツの古都を旅して [風物]
夏の一人旅、旧東ドイツの古都ドレスデン、ライプツィヒでのひとときを思いつくままにつづります。
チェコのモルダウ川から続きドイツ東部を流れるエルベ川沿いに広がるドレスデン旧市街。重厚なバロック建築。第二次世界大戦終わり頃、1945年の英米軍による大空襲で街のほとんどが壊滅し、その復旧には長い年月を要しました。私が訪れた2007年には、近年まで修復中だったという聖母教会もその姿を見られるようになっていました。
宿泊したホテル・ビューローレジデンスは川沿いではなかったので、対岸の旧市街の素晴らしい眺めを窓の向こうに見ることはできませんでしたが、部屋は広く快適でした。このホテルのレストランはミシュランの3つ星なのでぜひお楽しみくださいとスタッフに勧められましたが・・・そこで食事をすることなく過ぎてしまいました。
旅行では、地元の人の行くマーケットを見るのも楽しみのひとつです。まずはミネラルウォーター、チョコレート、フルーツなどを入手します。食事は、数種類からなる前菜やメイン料理、温野菜、ジャガイモ(主食として)など見て選べるタイプのお店に入ります。メニューだけを見て注文するときのように、予想と違うものが出て来てしまうこともありません。
さて、楽しみにしていたシュターツカペレ・ドレスデンのコンサートに出かけました。ゼンパーオーパーと呼ばれる歌劇場。その建物の上部にはギリシャ神話由来のレリーフが施されています。夜間は建物の照明が映えていっそうきれいです。当夜の演目はブラームスの3番のシンフォニーほか。会場の響きも良いし、音色も美しく、芸術的な演奏です。管楽器も実によく歌われていました。そして金管楽器の神々しく深い音色が印象的でした。
滞在中、J.S.バッハゆかりの街ライプツィヒに日帰りで出かけました。バッハは数々の器楽作品を書いたケーテンでの宮廷楽長時代(1717年~)の後、1723年から1750年亡くなるまでの間,ライプツィヒのトーマス教会のトーマスカントル(音楽監督)を務めました。教会付属のトーマス学校での生徒たちの指導、教会暦に即した毎週のカンタータの作曲に聖歌隊の練習と礼拝での演奏、そのほかニコライ教会や市の行事関連など、多忙な日々を送っていたことでしょう。ここではカンタータのほかにも多くの声楽曲の傑作が生まれました。例えばカントルに着任してまもなくの「ヨハネ受難曲」、1727年「マタイ受難曲」が初演されたのもトーマス教会です。器楽作品では「音楽の捧げもの」など。これは1747年に、当時バッハの次男エマヌエルの仕えていたフリードリヒ2世(プロイセン王)を訪問した際に提示された主題をもとに作曲されたものです。亡くなる前年には「ロ短調ミサ曲」が完成しています。
さて、ホテルから徒歩でドレスデン駅へと向かい、そこからライプツィヒ駅まで急行で一時間ほど。到着すると思いのほか現代的な街の風景です。賑やかな商店街を抜けると、ようやくむこうにそれらしき教会が見えてきました。そして教会の中に入ると・・・・・そこは外の世界とは全然違いました。まず、目には見えないけれど何かがたちこめているようでした。中へ進むとちょうど正午。テクストと楽譜の書かれた紙片が渡され、そのとき居合わせた数名で、牧師さんの後に続いての朗誦、賛美歌。その間もずっと、強いエネルギーのような何かが降り注いでいました。しばらく驚きに包まれた後、外に出てニコライ教会にも足をのばし、街を散策した後、もう一度教会に戻りました。オルガンの練習が始まり、荘厳な音が響き渡りました。ここにはバッハのひいていた古いオルガンもあります。そのとき練習でひかれていたのは新しいオルガンでした。ここでは当時からの時間が現代まで継続して流れている実感があり、それは遠い時代の人だと思っていたバッハの存在を生々しく思わせ、魂を近くに感じさせる空間でした。しばらくオルガンの音を聴いてトーマス教会を後にしました。
今、このときから2年が過ぎています。これを書いて、あの空間で得た温かい光を忘れることなく、これからもできるだけ良いバッハ演奏をしていきたいと改めて思いました。
by 花村恵理香
本厚木の花火大会 [風物]
今日、8月8日(土)の午後7時過ぎからは、本厚木の花火大会でした。
花火の写真って、撮影が難しいんですよ。ホント。必要機材もあまり持ってないし。(←言い訳)
私はまだまだ素人なのですが、デジタル一眼での花火の撮影の仕方をまとめてみました。
「デジタル一眼での花火の撮影方法」
- ピント MF(マニュアルフォーカス)で∞。
- ISO感度 100(最低感度にする)。
- 露出 M(マニュアル)で絞り値F11前後。
- シャッター速度 バルブ(bulb)。
- ホワイトバランス 晴れ(daylight)。
- ノイズ除去 ON(する)。
三脚をまだ買っていないので、カメラの固定には苦労しました。シャッターボタンを押すタイミングと離すタイミングが難しい。今の花火は、写真その1)のように花火が上にあがっている軌跡が見えないものが多いのでどの時点で破裂するかがよく分からない。重ねようとして露光時間が長すぎると、白く飛んでしまう、etc。(←要するに、下手くそなんですね)
皆既日食の撮影の時から感じていることだが、やはりデジタル一眼の付属部品がいくつかほしい。三脚、露出調整用のNDフィルター、接写用のマクロレンズ、etc。いずれにしても、カメラはオーディオと同じで金のかかる道楽だ。(←金がない)
その1)
その2)
多分、蝶々だと思います。うっすらと羽の形も見えます
その3)
菊の花
その4)
銀河
その5)
最後の乱れ打ち。どうしても高圧電線が入ってしまうんですよ
by チイ
チイの朝顔観察日記 [風物]
2009/8/2(日) 9:41 天気:
あいにくの雨でした。昨日の夜水をあげて、1日で早速輪咲きましたが、一輪は花びらが半分ほどしかない蕾の奇形でした。()上記写真は、まともな方の写真です。()
2009/8/3(月) 8:19 天気:
天気予報ではだったが、どうもっぽい。また輪咲いた。今日のものは綺麗に咲いているようだが、よく見ると蕾の中からもう一枚別の小さな花びらが出て来ている。(花びら中央部をご覧ください。左の方に何か出て行っているモノがそれです。)
2009/8/4(火) 7:21 天気:
今日は並んで輪咲いていた。()昨日は昼間はだったので、太陽光を十分に浴びていた。見ていると、朝顔の葉っぱは昼間強い太陽光に当たると鄙びてしまうようだ。それが夜に水をやると夜から朝にかけて生き返るといった感じだ。
2009/8/5(水) 6:25 天気:
今日は輪咲いていた。はじめて、紫色の花びらの朝顔が咲いた。()毎日知らない間に、どこからか明日開花しそうな蕾が出て来ている。やはり自然の生命力は凄い。
2009/8/6(木) 6:51 天気:
今日は紫色のものが二輪と赤色のものが一輪の計輪咲いたが、花びらの形がどれもいまひとつだった。咲き終わったものは、ガクのところからつまみ取るようにしている。明日から今週末にかけては天気予報はなので、夏らしい天気になるといいですね。(きんちゃんも明日から道志でENJOYできそうですね)
2009/8/8(土) 6:57 天気:
紫色が一輪と赤色が一輪の計輪咲いた。今回は紫色のものの花びらの形が綺麗に咲いていた。昨日は久しぶりにだったので、昼間十分に日を浴びていた。夕方からは本厚木の花火大会だ。
2009/8/9(日) 6:57 天気:
赤一輪、紫一輪の計輪。昨日は、本厚木の花火を撮るのでファインダーをずっと覗き込んでいたので朝起きたら、目が疲れ。おまけにカメラを固定した姿勢でずっとシャッターを押したり離したりで、腕も痛くなってしまった。しかし、ここの処、せっかくの日曜日がないなあ。
2009/8/11(火) 7:07 天気:
今朝は、朝の5時頃から地震で起こされたり、台風が接近したりで、・・・なんかここのところの気象は明らかに変ですね とりあえず、今日は計輪(赤2+紫1)、昨日は計輪(赤1+紫2、昨日は朝大雨で風も強く、朝顔が吹き飛ばされそうな状態で、とても写真に撮って載せられるような状態ではなかったのでパス。風対策で、朝顔の鉢植を一時的に避難。)咲いた。
2009/8/13(木) 6:57 天気:
今日からお盆ですね。東名はやく復旧するといいですね。赤1+紫1の計輪。朝顔の蕾は、昼間は大きさはさほどでもないものが、夜から明け方にかけていっきに2倍以上の大きさになるようだ。
2009/8/14(金) 7:45 天気:
赤1+紫1の計輪。写真の真ん中の大きな蕾は今日咲くかと思っていたら、まだ蕾のままだった。明日になってみないと分からないが、この蕾は多分このまましぼんでしまうかもしれない。咲く朝顔がだんだん支柱の上の方に移動していっているのが分かると思うが、実際支柱の途中で咲いた蕾のものは今日も2、3個不完全なものだった。
2009/8/15(土) 7:55 天気:
赤1+紫3の計輪。やはり昨日の赤の蕾のものは咲かないで、そのまま萎んでしまった。他にも二輪ほど中途半端な咲き方をしているものがあった。朝顔は本当に朝に一回だけ咲くものなので、その咲くタイミングが何かの要因で狂ってしまうと駄目みたいだ。
16日(日)朝の記事。お盆も終わって、東名も無事開通したみたいですね。明日からうちのマンションンは半年ほどの間、大規模修繕工事があって、バルコニー内のモノとか一時的に撤去しないといけなのですよ。というわけで、朝顔日記も今日で終わりです。まだ8月下旬くらいまでは咲きそうです。この鉢植えで、来年は7月くらいから別種の朝顔を栽培してみたいと思っています。
(追加です・・・)
2009/08/24(月)
最後のほうになって、今までの2色以外の色の朝顔が咲きました。この色って、何色っていうのでしょうか?はじめは赤色の朝顔の色素の奇形かな?と思っていたのですが、どうやらこういう色の朝顔のようです。
おしまい。。。
by チイ
鎌倉宮の朝顔市 [風物]
今日、鎌倉宮の朝顔市に行って来ました。
・第5回鎌倉朝顔市
日時 : 2009年8月1日(土)~8月2日(日) 8:00~18:00
場所 : 鎌倉宮
一鉢、2000円の朝顔の鉢植を買って来ました。私の子供の頃は、近所で庭の竹簾に朝顔を栽培しているお宅がたくさんありましたが、今ではあまり見なくなってしまいました。こうした鉢植えの朝顔を楽しむような時代になったということなのでしょうか?
鉢植えに付いていたチラシに「朝顔の育て方」が載っていたので、せっかくなので書いておきます。
朝顔の育て方
つる巻き
- つるは、剪定しないこと。
- 支柱と支柱の間に2回つるを巻く。
- つるは、時計と反対の方向に巻く。
- つるを巻くときは、朝顔の葉をつるで挟みつけないこと。
- つる巻きは、水をあげる前にする。(つる巻きの際、折れてしまう)
- 一番下のリングには必ずつるを最低1本は最後まで残す。
- 2番目のリングにはつるを3~5周巻く。
- 3番目のリングには2番目のリングにつるがある程度巻いたところで上げる。
水やり
- 朝顔の葉が萎びている感じまで水やりは控える。
- 水やりは、夕方か朝に1回たぷり水をあげる。
朝顔づくりで大切なこと
- 日当たりが一番大切。
- 夜間照明が無いところでないと蕾を持っても蕾が落ちてしまう。
- 朝顔の花が咲き終わったら、花の下のガクのところからつまみ取る。
皆さんも鉢植えの朝顔を栽培してみませんか?
鎌倉宮の朝顔市(1)
鎌倉宮の朝顔市(2)
鎌倉宮の朝顔市(3)
買ってきた朝顔の鉢植え
by チイ
「坂の上の雲ミュージアム」と「伊丹十三記念館」 [風物]
2009年、新年明けましてあめでとうございます。
久しぶりに田舎に帰省したのですが、その際にちょっと珍しい所にも行ってきましたので、ここで御紹介してみたいと思います。
- 伊丹十三記念館
伊丹十三記念館ですがなんと私の実家のすぐ近くにできていました。川を挟んで反対側、距離にして数百メートルくらいの所です。ちなみに、伊丹十三と作家の大江健三郎は私の高校の先輩です。(伊丹十三と大江健三郎はうちの高校の同期生で、大江健三郎の奥さんは、伊丹十三の妹です。)私が在学中に出版された母校出身の郷土の偉人を紹介した雑誌(多分、「命また燃えたり100年史」?とかなんとかいう題だったと思うのですが、)その中で伊丹十三のお父さんで、「伊丹万作」が確か紹介されていました。伊丹万作は昭和の初期に活躍した映画監督です。館内はこじんまりとした感じで、伊丹十三の生い立ちや、遺品の数々が紹介されていて、映画「マルサの女」の舞台セットや脚本などが展示されていました。
- 坂の上の雲ミュージアム
今年から、NHKの番組で作家、司馬遼太郎作の「坂の上の雲」の上映が始まります。その主人公である、秋山兄弟と正岡子規もうちの高校の先輩で、上記の雑誌の中でも確か紹介されていました。「坂の上の雲ミュージアム」の方は、松山市の中心部、一番町のメイン通りの裁判所のすぐ横にありました。こちらの方はかなり大々的にやっていて、上映にあわせて、松山市を挙げてのビッグプロジェクトになっているような感じです。私は司馬遼太郎の「坂の上の雲」はまだ読んでいないので、この機に文庫で全巻読んでしまおうと思っています。
坂の上の雲ミュージアムの展示を色々見ていて複雑な気持ちになった。私は、司馬遼太郎の「坂の上の雲」はまだ読んでいないので、司馬遼太郎がこの物語で何を伝えたかったのかはまだ知らない。ただ、今のこの時期に「坂の上の雲」を上映することは、今の日本にとってどんな意味があるのだろうか?複雑な気持ちと書いた理由は、この物語は、開国以来の、よき明治の時代の頂点ともいえる出来事であると同時に、その後の日本が坂道を転がり落ちていく出発点でもあるからだ。彼らは、純真な子供のように真っ白な心で、西欧の文化を学んで吸収していったが、その頃の日本を懐かしがってもあまり意味がない。日本は日露戦争で勝利して以降、軍が傲慢になって西欧からあまり学ばなくなってしまって、その後の戦争で負けたので、明治の初期の頃のように「学び続ける心を忘れるな」ということともきっと違うと思う。(実際に、日本はその後も航空機の技術を学んで、単葉機では一時世界のトップクラスに躍り出たし、空母の実戦での実用化という点でも、それを成し遂げられたのはアメリカと日本だけで、あのドイツもソ連も成し遂げられてはいない。)思うに、今、「坂の上の雲」を見るならば、それはこれからの日本のためにも、「反面教師」として見たほうがいいと思う。彼らは、当時のエリートである。それを成功の物語として見るのではなく、今の日本のエリートには何が足りないのかを、各人が自分の頭で考えるきっかけになればと思う。
by チイ
ニッコウキスゲ [風物]
今日七夕の日に、箱根にニッコウキスゲを撮りに行ってきました。前からなんとなく、その容姿と「ニッコウキスゲ」という言葉に魅かれていました。しかし残念なことに、箱根のニッコウキスゲの花期のピークを1ヶ月ほど過ぎてしまっていました。ショック自分で勝手に梅雨の間は咲いていると思い込んでいたのですが、箱根では花期が5月下旬から6月下旬で、花期のピークが6月上旬らしいです。尾瀬や日光では、もっとおそくまで咲いているらしいのですが、(実際、今がピークらしいですよ!)箱根は花期が1ヶ月ほどで短いみたいです。「来年こそは、日光の戦場ヶ原か霧降高原に行って、ニッコウキスゲの群生を撮るぞ。」それで代わりと言っては何ですが、ニッコウキスゲの園芸種の「ヘメロカリス」を何枚か撮ってきました。キスゲ属は、雑種ができやすいそうで、最近のヨーロッパやアメリカからの「お里帰り」だそうです。
by チイ
ヘメロカリス
へメロカリス
アジサイも咲いていました。
1輪だけニッコウキスゲ?と思われるも
のを見つけたのですが、実際は?
本物のニッコウキスゲです。