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先人の残した宿題 [歴史]

 先日、アインシュタインの残した宿題として、重力波が検出されたニュースが世界中に流れた。昨年は一般相対性理論100年目の年だったので、その次の年にアインシュタインの予言した重力波が検出されるなんて、なんかすごくロマンチックだな。なんでも2つのブラックホールが合体する時の重力波を観測したよう。(注)それくらい質量の大きいものでないと重力波の観測は難しいということなのだろう。でもこれまで測定できなかったものが測定できるようになったということで、その技術革新が天体物理学に与える影響は計り知れないものがあるらしい。

 一般に、物理や数学ではその時代の天才達が成し遂げられなかった仕事が、未解決問題として次の世代に引き継がれていく。それらは言ってみれば、「神の創った問題」といったところだろう。神が天才を通して人類に投げかけている問題とも言える。それは天才にだけ許された特権のようなものだ。結局のところ、研究の方向性が合っているとか間違っているとか悩むよりも、先人の残した未解決問題を解いた方が近道だったり、思わぬ多くの副産物(お土産)を置いていってくれたりする。リーマン予想などは、それが解決した暁には、これまでの科学のひとつの時代が終わるだろうと言われるくらいのインパクトがあるとされている。(ミクロの時空の幾何もこれで分かるかもしれない。)

 アインシュタインの残した宿題で一番大きなものは、力の統一理論(万物の理論)だろう。カク・ミチオが標準理論は科学の歴史の中で最も醜い理論だと言っていたが、そこに重力が含まれていないからだ。その最有力候補とみなされているのが超弦理論で、今その先頭を走っているのがデイビッド・グロスやエドワード・ウイッテン(二人ともユダヤ人)。またこれは宿題や予言ではないが、EPRパラドックスというのもある。EPRは、その後の「ベルの定理」や「アスぺの実験」などにより、アインシュタインの予想に反して、この世は「非局所的」であるという結論になったが、現在この「量子もつれ」を利用した量子暗号化技術が次世代の通信の本命と言われている。アインシュタインが一度は否定した「宇宙項」も最近ではダークエネルギーの存在を含めて再評価されてきている。

 上に書いたような宿題は、人類共通の課題だが、多分民族の歴史でも同じようなことが言えるのだろうと思う。結局は、その民族が繁栄したり衰退したりするのは、その民族の先人が残した宿題を後の世代の人がどれだけ真剣にそれを受け止めて解決していくかにかかっているのだと思う。前にも書いたが、山本五十六の残した宿題は、盛田昭夫氏の残した宿題でもある。日本の家電メーカーはその宿題をやらなかったので、総崩れになってしまった。その先人がその民族にとって偉大であればあるほど、その宿題をサボったつけはその民族の命運に大きくかかわってくる。

 (注) 重力波の論文です。PDFに詳しい内容が出ています。その重力波による時空の歪は、地球から太陽の距離(約1億5000万 km)の間が、原子1個分変化する程度。

https://journals.aps.org/prl/abstract/10.1103/PhysRevLett.116.061102

by チイ


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戦後70年談話(2)~完成されていない新しい技術に対する感度の鈍さ [歴史]

 太平洋戦争はまさに空母の戦いだったが、真珠湾奇襲攻撃では敵空母を撃ち漏らして、雑魚の多くの戦艦を沈めて意気揚々と帰ってきた。完全な情報戦の失敗だ。その結果、日本海軍はその後米空母に徹底的に苦しめられることになる。

 ミッドウェー海戦の前に、「珊瑚海海戦」というのがあって、この時はじめて日米の空母が正面激突した。人類史上初の空母対決である。戦いはほぼ互角の引き分けに終わったが、日米のこの戦いの情報分析に取り組む姿勢は全く違っていた。アメリカは初の空母対決ということで、この戦闘を即座に徹底的に分析して、その結果を次の戦いであるミッドウェー海戦に生かしたが、日本はその情報を生かすことができなかった。実は珊瑚海海戦の前にも「セイロン沖海戦」というイギリス海軍との戦いがあったのだが、この時空母の兵装転換ミスであわや被弾しそうになる危機的な状況に陥っていたのだが、日本はその経験をミッドウェー海戦に生かすことができなかった。まだ完成されていない新しい技術に対する感度がめちゃくちゃ低いのだ。

 私が思うに、日本が初の「空母戦」にめちゃくちゃ感度が低かったのは、簡単に言ってしまうと、空母戦という教科書をまだだれも書いていなかったからだと思う。日本人には今まさに自分たちが空母戦という新しい教科書を執筆しているのだという当事者意識に欠けているのだ。これが逆に「戦艦戦」のようなそれまで幾多の事例があり立派な完成された教科書が書かれていれば、日本人は窒息するほど猛勉強して徹底的に分析していたはずだ。ただ、まだ山のモノとも海のモノとも分からないようなモノには日本人の感度はめちゃくちゃ低いのだ。というよりも勉強しようにも教科書がない。

 この事例が物語っているのは、日本の技術者は完成された「応用」の段階に入らないと、自分たちの感度が上がらないという事実だ。新しいものは、それまで世の中のどこにも存在してなかったものなので、応用をする前には誰かが必ずその「基礎」を作る必要があるが、多くの日本人はそんなものは一番になりたがり屋の西洋人にやらせておけばいいと内心は思っている。それよりももっと実利的な部分での果実を手にしたいと考えている。ある大きな体系を日本人はゼロベースから自分たちの力だけで構築した経験がまだないので、それをやった場合(やらざるをえなくなった場合)ほとんどが失敗してしまっている。

 昔日本の産業が絶好調だった時代、ある会社の取締役が発明が「1」、開発が「10」、量産が「100」みたいな本を書いていた。私はこの本はお金を出してまで買う価値があるとは思えなかったので、ささっと立ち読みして終わってしまったが、これはまさに日本人の倫理観で書かれた本だ。しかし、この取締役が「1」と言っている内容はもしかしたら「100」かもしれないのだ。「100」と言っているものが「1」かもしれない。それは全体最適の中で簡単に数字化されるような代物でもない。

 21世紀は間違いなくソフトウエアの時代になると思う。ハードウエアの時代は、上に書いた日本人の倫理観でもたまたまうまくいっていた。(そこにはさまざまな奇跡的好条件があったように思う。)それがソフトウエアの時代でもうまくいくと考えていたら、多分大失敗をしてしまうと思う。AGI(Artificial General Intelligence)ははやければ2020年くらいに実現するという専門家もいる。2050年には90%の専門家が実現するだろうと言っている。その真ん中をとれば、2035年頃には実現している可能性は非常に高いと思う。日本人に世界に先駆けてAGIの教科書を書く当事者意識はあるのだろうか?

by チイ


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戦後70年談話~エンタープライズとレイモンド・スプルーアンス [歴史]

 空母エンタープライズを御存じだろうか?先の大戦で開戦当初から参戦して終戦まで沈まなかった日米の空母は米が3隻、日本が0隻だが、エンタープライズはその3隻の中でも米海軍の旗艦として最も活躍した戦中最大の武勲艦となった。ミッドウェー海戦にも参戦している。何回も被弾しながらも終戦まで生き延びて、日本海軍にとっては文字通り目の上のたんこぶの存在になってしまった。

 今現在世界の民生の分野に目を向けてみると、そこには米のアップル、グーグル、フェイスブック、アマゾン、ヤフー、・・・といった超国家的なプラットフォームが乱立してしまっている。今後、日本の企業はどうやってこれらのメガプラットフォームに対峙していくつもりなのだろうか?先の大戦で学んだ教訓は生かされているのだろうか?

 レイモンド・スプルーアンスはエンタープライズ同様に、日本海軍にとっては、終戦まで目の上のたんこぶになってしまった人物だ。(注)スプルーアンスはハルゼーの部下だったが、ミッドウェー海戦時、ハルゼーは風疹に罹って戦場には出られなかった。そこでハルゼーが自分の代わりに司令官として抜擢したのがスプルーアンスだった。スプルーアンスは当時、ハルゼーの空母機動部隊に付き従う巡洋艦の艦長(少将)で、彼自身飛行機にも乗れなかったので、ワシントン軍令部含め周りは皆反対した。しかしハルゼーの、「彼はこれまで、自分の空母部隊に付き従ってきており、空母戦略の分かる人間だ。」という一言で周りを納得させた。

 エンタープライズに乗り込んだスプルーアンスの歴史に残るジャストタイミングでの「全機発進命令」で日本の4隻の正規空母が沈んで、日本の空母機動部隊は壊滅的な打撃を受けることになるのだが、実はスプルーアンスがこの命令を発した時、日本の4隻の空母の内、まだ2隻しか発見されていなかった。未発見の2隻の空母に見つかって、先に攻撃されたら味方が危ないということで周りは反対したが、スプルーアンスは決断した。スプルーアンスは空母戦が情報戦の勝者総取りゲームになることを知っていた。

 これに対して日本の空母機動部隊の総司令官の南雲忠一は、本来は水雷が専門で飛行機のことはずぶのド素人だった。そのため周りに、航空参謀である源田実中佐と草鹿龍之介参謀長を置いていたが、ミッドウェイ海戦では二人の意見が割れて命令が二転三転してしまう。そんな中敵空母発見の一報を受けた際、南雲が下した決断は、「正攻法で行く」というものだった。(正攻法とは、陸用爆弾を魚雷に替えて、護衛機を付けて敵空母をたたくというもの。)この決断が貴重な時間のロスにつながり命取りになってしまった。

 今日本の企業で南雲忠一の立場にある人は、ほとんどがハードウエアでの成功体験や実績がある人たちだ。その人たちが自分が知らないソフトウエアやプラットフォームのことが分かる人間を周りに置いて、彼らに意見具申させて、最後は自分が決めるというやり方は歴史の教訓からすれば完全に間違っていると思うのだが、実際問題ほとんどの企業が旧日本海軍の組織の決定方法を取っているのではないだろうか?

(注)スプル―アンスはミッドウェイ海戦での活躍が有名だが、戦艦大和も当時大将に昇格していたスプル―アンスの命令により沈められている。

by チイ


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