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戦後70年談話(2)~完成されていない新しい技術に対する感度の鈍さ [歴史]

 太平洋戦争はまさに空母の戦いだったが、真珠湾奇襲攻撃では敵空母を撃ち漏らして、雑魚の多くの戦艦を沈めて意気揚々と帰ってきた。完全な情報戦の失敗だ。その結果、日本海軍はその後米空母に徹底的に苦しめられることになる。

 ミッドウェー海戦の前に、「珊瑚海海戦」というのがあって、この時はじめて日米の空母が正面激突した。人類史上初の空母対決である。戦いはほぼ互角の引き分けに終わったが、日米のこの戦いの情報分析に取り組む姿勢は全く違っていた。アメリカは初の空母対決ということで、この戦闘を即座に徹底的に分析して、その結果を次の戦いであるミッドウェー海戦に生かしたが、日本はその情報を生かすことができなかった。実は珊瑚海海戦の前にも「セイロン沖海戦」というイギリス海軍との戦いがあったのだが、この時空母の兵装転換ミスであわや被弾しそうになる危機的な状況に陥っていたのだが、日本はその経験をミッドウェー海戦に生かすことができなかった。まだ完成されていない新しい技術に対する感度がめちゃくちゃ低いのだ。

 私が思うに、日本が初の「空母戦」にめちゃくちゃ感度が低かったのは、簡単に言ってしまうと、空母戦という教科書をまだだれも書いていなかったからだと思う。日本人には今まさに自分たちが空母戦という新しい教科書を執筆しているのだという当事者意識に欠けているのだ。これが逆に「戦艦戦」のようなそれまで幾多の事例があり立派な完成された教科書が書かれていれば、日本人は窒息するほど猛勉強して徹底的に分析していたはずだ。ただ、まだ山のモノとも海のモノとも分からないようなモノには日本人の感度はめちゃくちゃ低いのだ。というよりも勉強しようにも教科書がない。

 この事例が物語っているのは、日本の技術者は完成された「応用」の段階に入らないと、自分たちの感度が上がらないという事実だ。新しいものは、それまで世の中のどこにも存在してなかったものなので、応用をする前には誰かが必ずその「基礎」を作る必要があるが、多くの日本人はそんなものは一番になりたがり屋の西洋人にやらせておけばいいと内心は思っている。それよりももっと実利的な部分での果実を手にしたいと考えている。ある大きな体系を日本人はゼロベースから自分たちの力だけで構築した経験がまだないので、それをやった場合(やらざるをえなくなった場合)ほとんどが失敗してしまっている。

 昔日本の産業が絶好調だった時代、ある会社の取締役が発明が「1」、開発が「10」、量産が「100」みたいな本を書いていた。私はこの本はお金を出してまで買う価値があるとは思えなかったので、ささっと立ち読みして終わってしまったが、これはまさに日本人の倫理観で書かれた本だ。しかし、この取締役が「1」と言っている内容はもしかしたら「100」かもしれないのだ。「100」と言っているものが「1」かもしれない。それは全体最適の中で簡単に数字化されるような代物でもない。

 21世紀は間違いなくソフトウエアの時代になると思う。ハードウエアの時代は、上に書いた日本人の倫理観でもたまたまうまくいっていた。(そこにはさまざまな奇跡的好条件があったように思う。)それがソフトウエアの時代でもうまくいくと考えていたら、多分大失敗をしてしまうと思う。AGI(Artificial General Intelligence)ははやければ2020年くらいに実現するという専門家もいる。2050年には90%の専門家が実現するだろうと言っている。その真ん中をとれば、2035年頃には実現している可能性は非常に高いと思う。日本人に世界に先駆けてAGIの教科書を書く当事者意識はあるのだろうか?

by チイ


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