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戦後70年談話~エンタープライズとレイモンド・スプルーアンス [歴史]

 空母エンタープライズを御存じだろうか?先の大戦で開戦当初から参戦して終戦まで沈まなかった日米の空母は米が3隻、日本が0隻だが、エンタープライズはその3隻の中でも米海軍の旗艦として最も活躍した戦中最大の武勲艦となった。ミッドウェー海戦にも参戦している。何回も被弾しながらも終戦まで生き延びて、日本海軍にとっては文字通り目の上のたんこぶの存在になってしまった。

 今現在世界の民生の分野に目を向けてみると、そこには米のアップル、グーグル、フェイスブック、アマゾン、ヤフー、・・・といった超国家的なプラットフォームが乱立してしまっている。今後、日本の企業はどうやってこれらのメガプラットフォームに対峙していくつもりなのだろうか?先の大戦で学んだ教訓は生かされているのだろうか?

 レイモンド・スプルーアンスはエンタープライズ同様に、日本海軍にとっては、終戦まで目の上のたんこぶになってしまった人物だ。(注)スプルーアンスはハルゼーの部下だったが、ミッドウェー海戦時、ハルゼーは風疹に罹って戦場には出られなかった。そこでハルゼーが自分の代わりに司令官として抜擢したのがスプルーアンスだった。スプルーアンスは当時、ハルゼーの空母機動部隊に付き従う巡洋艦の艦長(少将)で、彼自身飛行機にも乗れなかったので、ワシントン軍令部含め周りは皆反対した。しかしハルゼーの、「彼はこれまで、自分の空母部隊に付き従ってきており、空母戦略の分かる人間だ。」という一言で周りを納得させた。

 エンタープライズに乗り込んだスプルーアンスの歴史に残るジャストタイミングでの「全機発進命令」で日本の4隻の正規空母が沈んで、日本の空母機動部隊は壊滅的な打撃を受けることになるのだが、実はスプルーアンスがこの命令を発した時、日本の4隻の空母の内、まだ2隻しか発見されていなかった。未発見の2隻の空母に見つかって、先に攻撃されたら味方が危ないということで周りは反対したが、スプルーアンスは決断した。スプルーアンスは空母戦が情報戦の勝者総取りゲームになることを知っていた。

 これに対して日本の空母機動部隊の総司令官の南雲忠一は、本来は水雷が専門で飛行機のことはずぶのド素人だった。そのため周りに、航空参謀である源田実中佐と草鹿龍之介参謀長を置いていたが、ミッドウェイ海戦では二人の意見が割れて命令が二転三転してしまう。そんな中敵空母発見の一報を受けた際、南雲が下した決断は、「正攻法で行く」というものだった。(正攻法とは、陸用爆弾を魚雷に替えて、護衛機を付けて敵空母をたたくというもの。)この決断が貴重な時間のロスにつながり命取りになってしまった。

 今日本の企業で南雲忠一の立場にある人は、ほとんどがハードウエアでの成功体験や実績がある人たちだ。その人たちが自分が知らないソフトウエアやプラットフォームのことが分かる人間を周りに置いて、彼らに意見具申させて、最後は自分が決めるというやり方は歴史の教訓からすれば完全に間違っていると思うのだが、実際問題ほとんどの企業が旧日本海軍の組織の決定方法を取っているのではないだろうか?

(注)スプル―アンスはミッドウェイ海戦での活躍が有名だが、戦艦大和も当時大将に昇格していたスプル―アンスの命令により沈められている。

by チイ


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