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フォン・ノイマンやオッペンハイマーは鶴亀や植木ってやったのだろうか? [コンピューター]

  2020年から小学校でプログラミング教育が必修化される見通しになったようだ。どんな内容を教えるかはまだ決まっていないようで、プログラミングを通して、論理的思考力や問題解決能力を育てるのが目的のよう。また小学校だけでプログラミング教育をしてもあまり意味はなく、大学入学までの、中学、高校課程でもどのようなことを教えるかも重要になってくると思う。

 一般の人に関しては、プログラミング教育を始める時期に関しては、小学校の後期(4年生以降)が理想だろう。ただここで考えなければいけないのが、プログラミング教育に合わせて、代数をいつから教え始めるかが問題になってくるように思う。現行の教育要綱では、代数は中学に入ってからということになっているが、プログラミングには「変数」などの代数の概念がどうしても入ってくるので、理想を言えば、プログラミング教育に合わせて、代数も教えるというのがいいように思う。小学校の6年間は算数しか教えては駄目だということになると、小学校課程でのプログラミング教育が幼稚なものになってしまう恐れがある。

 私は、今の時代、代数はもう小学校の4年生くらいからきちんと教えるべきだと思う。初等の微積分も現行では高校の2年生くらいから教えることになっているが、中学の3年生くらいで教え始めないと時代の流れにどんどんおいていかれてしまう。また、理数系に関しては、大学の一般教養課程で教えているような内容は、全て高校の3年間で学び終わるようにしないと、これからの「ロゴスの世界での競争」にはとてもでないが海外勢に太刀打ちできないように思う。

 ただ、小学校の後期課程から代数を教えた場合、一番問題になりそうなのが中学受験だ。というのも現行の名門中学の受験では、「鶴亀や植木や並木」算みたいな算数の超ウルトラクイズが受験生の一番の篩になっているからだ。ここでは代数を使わないで算数のウルトラクイズを解くことが求められる。小学校の後期課程から代数を教えた場合、代数を知っていてもそれを使わないで算数の問題を解くというような後ろ向きな力が働いてしまう。

 いずれにしてもプログラミングは、算数や数学以上に本人の適性が問題になってくるだろう。適性の無い人にいくら教育しても得られるものは少ない。そういう意味では学校でのプログラミング教育は必要最低限のものにとどめて、才能のある人材は部活や塾(プログラミング教室)で発掘していくようにした方がうまくいくかもしれない。

 本当はもっと大きなところで、これからのAI全盛期の時代、小学校~大学課程までの「コンピュータ・サイエンス」の教育をどうするかを考えるべきなのだろう。この中にはもちろんハードウエアやアルゴリズムなどの知識も含まれるし、プログラミンはその中のキーになる技術には違いないのだが。これから人間の脳に近いAGIが開発されていくにしたがって、従来のコンピュータ・サイエンスも複雑系(サイバネティクス)の知識なども取り込んで飛躍的な進展を遂げていくはずだ。ただ現行の多くのプログラミング言語を使いこなせるだけではなくて、AGI時代の新しいハードウエアやソフトウエアを自ら創造できるようなコンピュータ・サイエンスの教育も考えてほしい。

by チイ


OSの入れ替え(Ⅳ) [コンピューター]

 ちょっと遅くなってしまったが、9月中旬頃にWindows8.1→10にOSをアップデートした。ヴァージョンの数字が二ケタになって、所謂メジャー・アップデートになった10にかけるMSの意気込みが伺える。今回は、2年間くらいの間に入れたソフトウエアの量がかなりあったので、アップデートには3時間くらいかかってしまったが、更新後特に大きな問題もなくほぼ以前の状態で使えている。

 私はWindowsに関してはXP以降のマシンの買い方を間違えてしまった。Vista→Windows8(その後8.1→10に更新)と両方ともに失敗作と言われるものを買ってしまった。今思えば本当はWindows7(その後10に更新)を買っていれば一番良かったのだろうが、後の祭りになってしまった。

 以前にブログで、マイクロソフトでWindows10が無償提供されることは絶対ないだろうと書いて、その期待も見事に裏切られてしまった。(ただし無償期間は発表から1年間に限られるようではあるが。)マイクロソフトはこれまで会社の収益の大半をOS販売によっていたので、この決断は私にとっては予期しないサプライズだった。マイクロソフトはグーグルやアップルと同様にOSを無償化して、これからどのように稼いでいくつもりなのだろうか?

 考えられるのはクロス・プラットフォーム戦略だ。iPadやiPhone、アンドロイドに純正MSオフィスアプリを提供したり、Visual Studio2015でのiOS、アンドロイド開発への対応などが考えられる。ここを足掛かりとしてゆくゆくはMSクラウドに誘導するのが狙いのよう。マイクロソフトは現在Windows PhoneやSurfaceがあまり売れてないような状況で、業界標準の地位にあるiPadやiPhone、アンドロイドなどの市場に積極的に打って出ていこうということらしい。

 アップルのOS Xの方も10月01日にYosemite→El Capitanにアップグレードした。El Capitan(エル・キャピタン)とは米のヨセミテ国立公園にある花崗岩の一枚岩のことらしい。Mac Book Proのノートとこの秋に買ったばかりのiMacのデスクトップ両方とも行った。バージョン10.10から10.11へのマイナーアップデートになるが、OS Xはほぼ毎年のように更新されて新しくなっていく。その進化のスピードには驚かされてしまう。今回は、特に、Split ViewやMission Control、Spotlight、Metal、フォントの機能などが強化された模様。

 ソフトウエアの進化のスピードは恐ろしく速い。またマイクロソフトが自社のメインの収益源だったOS販売を無償にしてまで、ドラスティックな経営戦略の見直しを行って生き残りを模索している。今IT分野で米国に大きく後れを取っている日本の政府や企業で、マイクロソフト以上の経営戦略のリスクを取って、その運営を模索している所はあるのだろうか?

by チイ


情報革命の7つのステージ [コンピューター]

 池田純一著の「<未来>のつくり方~シリコンバレーの航海する精神~」の最後のほうに、80年代以降の「情報革命」の変遷がとてもよく分かりやすくまとまって記述されていたので、それについて今回改めてまとめてみた。こうして見てみると、物凄く説得力があり将来の展望についても確信が持てます。

  • ステージ1 80年代  Personal Computer 「Personal(パーソナル)」
  • ステージ2 90年代  Internet 「Connective(コネクティブ)」
  • ステージ3   00年代    Web2.0  「Generative(ジェネラティブ)」
  • ステージ4   10年代    Internet of Humans(IoH) 「Massive(マッシブ)」
  • ステージ5   20年代~   Internet of Things(IoT)「Products(プロダクト)」
  • ステージ6   30年代~   Internet of Lives(IoL)「Lives(ライフ)」
  • ステージ7   40年代~   Internet of Organs(IoO) 「Organs(オーガン)」

 現在は、ステージ4からステージ5への移行期にある。つまり、ヒトのインターネット(IoH)が、完成の域に達し、スマフォ/タブレットからウェアラブル(時計型/眼鏡型)を経て、「モノのインターネット(IoT)」が用意されている時である。この先のステージ6のIoLの時代には、合成生物のようにDNAの操作をコンピュータ上で扱えるようになり、生命のビット操作をプログラミングできるようになる。生命と非生命、有機物と無機物の境界が曖昧になっていく世界。ステージ7のIoOの時代は、自律性をもつ機械からなる「器官の時代(オーガン・エイジ)」になる。自律性をもった存在であれば、機械でも生物でも、何であれ器官(オーガン)として扱う。

 これまでのスーテージ1から4までは、「人間の知性の補強」であり、これからのステージ5以降は、AI研究の充実も含めて、「知性の人間以外の存在への提供」である。

 筆者は情報革命の本質は、「知性(Intelligence)の操作性」にあるとしている。一周目の近代である「産業革命」が動力と機械の革新である、「人間の手足の代替」であるのに対して、二周目の近代である「情報革命」は「人間の思考=知性の代替」である。「マシン・エイジ」に対して「オーガン・エイジ」の特徴は「プログラマブル(プログラム可能)」という特性になるだろうとしている。

 シンギュラリティは2045年頃と言われているので、上のステージ7の時代とも一致してくる。人類は第一周目の近代の産業革命の集大成として「原水爆」というパンドラの箱を開けてしまったが、今回はおそらく第二周目近代の情報革命の集大成として「AGI」というパンドラの箱を再び開けてしまうことになるのだろう。それは知性の代替を人間存在への脅威として警鐘を鳴らすことになり、その危険性についてはジェイムズ・バラット著の「人工知能」の中でもページを割いて幾重にも指摘されている。

  それでも人類はAGIの開発を止めることはできないだろう。いくら厳重に規制したとしても必ずだれかが隠れてやってしまうからだ。願わくば、最初のパンドラの箱を開ける人が、良識のある賢人であることを願って、その人が先導してAGI開発のルールを作っていく以外に方法はないように思う。

by チイ


AGIからASIへ [コンピューター]

  ジェイムズ・バラット著の「人工知能」を読んでいたら、簡単で面白い計算をしている箇所があった。人の脳の中のニューロンの数は大体1000億個くらい。その中の1個1個のニューロンが他の約1000個のニューロンと連結しているので、ニューロン間の連結は約100兆(10^11 * 10^3 = 10^14)になる。一つ一つの連結では1秒間に200回程度の計算ができるので、脳の中の全計算量は1秒当たり約2京回(200 * 10^14 = 2*10^16)になる。

  一方で現在の世界最速のスーパー・コンピュータは、2012年の米の「セコイア」が16PFLOPS(1.6京回)(ペタフロップスは1秒間にペタ=10^15(1千兆)回の浮動小数点演算を行う単位)で、2014年の中国の「天河二号」の30PFLOPS(3京回)で人の脳の計算処理速度とほぼ同等の水準に達している。

 もちろん、これは数字上の比較で、脳は並列プロセッサで、コンピュータは直列動作なので、得意な作業領域は異なっていて単純な比較はできないが、その複雑さは同程度であるらしい。それでも現在のスーパー・コンピュータは、まだ「弱いAI」に分類される。

 現在、各国や各企業はAGI(注)(人工汎用知能=強いAI)の開発にしのぎを削っている。AGIと現在のスーパー・コンピュータの違いは、AGIは自己を意識することである。自己を意識する目標駆動型システムであるので、自身を自己進化する存在へと作り上げる。(再帰的な自己進化)人と同じく、「問題を解決し、学習し、さまざまな環境下で効果的かつ人間的な行動を取る能力」(=汎用知能)を持つ。

 AGIの先にあるのがASI(注)(人工超知能)である。人の1000倍以上の知能を持ち、この世の全てのことを人間に替わって決めてくれる存在になるということで、「ビッグ・ブラザー」と呼ぶ人もいます。AGIの人間レベルの知能からASIへの超知能への移行は、自己進化の正のフィードバック・ループによりハードテイクオフの「知能爆発」が起こるのではないかと言われている。自己進化する人工知能はあっという間にAGIからASIへ移行してしまうだろう。

 私が生きている間にAGIが開発される可能性はギリギリといった所だろう。私自身は、2045年の「シンギュラリティー」までに必ず開発されるだろうと信じているので、なんとかその時まで生き延びてそれを見とどけたい。今後の脳のリバース・エンジニアリングの躍進がカギを握ることになると思う。

(注)

AGI = Artificial General Intelligence

ASI = Artificial SuperIntelligence

by チイ


コードを制する者はデジタルを制す [コンピューター]

 最近よく私の頭の中で鳴っている言葉。「コードを制する者は、デジタルを制す。」この言葉は昔、誰かがどこかで言った言葉なのかもしれないし、私が勝手に言っているだけなのかもしれない。または、昔誰かが似たようなことを言って、それが私の頭の中で編集されて出てきた言葉なのかもしれない。ここで言うコードは、もちろん英語のCode(=Source Code)のことです。

 3月にカンバーバッチの「イミテーション・ゲーム」を見て改めて思ったことがあった。最初のマシンであるリレー式の「ボンブ」はただの数学者が作ったという事実。チューリングは、モノづくりオタクでもなければ、電子工学の専門家でもなかったが、ボンブのハードウエアを設計した。私は、ここにコンピュータというものの本質が生まれた時から現れているように感じる。(勿論工学的にはその後の、リレー式から電子式への流れや、トランジスタや半導体素子などの高速化の技術は重要ではあるが、それは本質ではないと思う。)

 これからのIoT(Internet of Things=モノのインターネット化)が進み、リアルとネットが同期するようになると、クラウドのプラットフォーマーの重要性はさらに増す。(ある人が、それは中世の宗教に近い存在になるという指摘もある。)クラウドのハードウエアは通常のLinuxマシンである。スパコン並の高価なハードウエアを数千万台も所有すれば、さすがのグーグルもアップルも破産してしまう。クラウドはハードウエア軽視思想で成り立っている。つまり、その分を知恵のあるソフトウエア(コード)で補おうという考えだ。これは丁度パターン認識において、数十msの速さのニューロンがネットワークを作ることで、nsオーダーの半導体素子のコンピュータ以上のパフォーマンスを示すのに似ている。人の脳の古い部位はハードウエアであるが、新しい脳である大脳皮質はソフトウエアである。

 ところで、ここの所、日本は前に進むことを拒否して、逆回転ばかりしているように感じてしまう。モバイル用のディスプレイでシャープがジャパンディスプレイとバッティングしてしまって、会社が潰れそうになってしまっている。私はディスプレイ関連は、もう日本のような成熟国家がやる仕事ではないと思っているのだが、それをまだ引きずって国内で潰し合いをしている。橋本さんの大阪都構想も7年もかけて頓挫してしまった。安倍さんの成長戦略が、発展途上国に戻る逆成長戦略なので、全てがそれに引っ張られて逆回転をしてしまっている。

 音楽はポリフォニーになった時点で、西洋音楽が世界標準になったが、同時に、「コード(Chord)を制する者は和声音楽を制す。」になった。勿論、音楽にはコード以外にもメロディーやリズムなどの要素も関係している。しかし、ポリフォニーでは、「どういった和声的表現があるか?」を探るのが一番の目的になったのは確かだと思う。音楽もコンピュータもそれが生まれた時の目的に向かって着実に進化していっているだけのように思う。この当たり前の事実が、日本人には分かってないように思う。

by チイ


チューリングとフラワーズとユダヤ人 [コンピューター]

 今年絶対に観ようと思って、楽しみにしている映画がある。日本でもこの3月から公開になる「アラン・チューリング」の人生を描いた、「イミテーション・ゲーム」だ。今年は終戦70年目の年になるらしいが、その年にこの映画が公開になるのも何かの巡り合わせのようなものを感じる。私は、今日本が一番やるべきことは、自主憲法の制定でもなければ、集団的自衛権の改訂でもないし、ましてやモノバカの時代に戻ることでもないと思う。それは前からも書いているように、「山本五十六の残した宿題」を民族の課題としてやることだと思っているのだが、有識者の中でそのことを指摘する人はほとんどいない。

 昔、日本の産業界が絶好調だった時代に、ある経済人が「アメリカの民事産業は軍事にスポイルされる」という趣旨のことを言ったが、私はどちらかと言うとこれとは逆の考えだ。多くの場合、軍事は民生に先行すると思う。第2次世界大戦は、最先端の分野での戦いは既に「モノ」ではなくて「情報」の分野での戦いに移っていた。今の世界の産業界を見渡してみれば、民生分野は間違いなく、「空母」の時代に入ったと思う。今から70年前に軍事で起こったことが、70年の歳月を経て、同じように民生の分野でもそれが起きているのだ。

 チューリングは戦時中のブレッチリー・パーク(暗号解読工場)で、まず最初にドイツのエニグマ暗号を解読するためのリレー式のマシンである「ボンブ」を作った。その後エニグマよりさらに洗練されたタニー暗号を解くためにフラワーズの協力を得て電子式のマシンである「コロッサス」を完成させた。最終的にはチューリングの万能マシンとしての汎用プログラム内蔵方式のコンピュータは、1948年にイギリスのマンチェスター大学でウィリアムス管を使った「ベビー」という名のACE(Automatic Computing Engine)として完成している。

 チューリングは42歳という短い人生の中で、信じられないくらいの多くの重要な仕事を行っている。その業績は現在のAI(人工知能)やAL(人工生命)にまでも及んでいる。論理学の分野ではゲーデルの「不完全性定理」を実際のチューリングマシンに当てはめて、プログラムの「停止性問題」を証明してみせた。ゲーデルやチューリングの前には、越えなければいけない存在としての当時のドイツの大数学者ヒルベルトの存在があった。

 トミー・フラワーズはドイツのタニー暗号を解くために、世界で一番始めに真空管を使ったデジタル式のコンピュータ、「コロッサス」を設計した人だ。(コロッサスはチューリングが作ったように言われるが、それは間違いで、チューリングはコロッサスの設計には何も寄与していない。また、歴史的には1946年に公開された「ENIAC」が世界最初の電子式コンピュータということになっているが、コロッサスはそれより3年早かった。) フラワーズは非常に優秀な技術者だったが、労働者階級の出身であるため、大学にはいけなかったが、工学系の夜間学校で電子工学を学んだ。

 もし、日本でブレッチリー・パークと同じ出来事が起こっていたとしたら、フラワーズの名前が天才技術者として後世に残ったかもしれない。逆にチューリングは教科書の隅の方にコンピュータの基礎を作った人と小さく記述されるに留まったかもしれない。ただ、フラワーズはマシンを作るにあたって、上司からチューリングの万能マシンの論文を渡されていたが、それを理解することができなかったし、内臓プログラム方式の重要性にも気づかなかった。フラワーズは高等数学が理解できなかったのだ。

 それとは全く対照的だったのが、フォン・ノイマンだ。フォン・ノイマンはチューリングの万能マシンの論文を読んで、誰よりも早く内臓プログラム方式の重要性に気づいた。歴史的には、プログラム内蔵方式のコンピュータは米国のENIACの後継機である「EDVAC」(1951年完成)が有名であるが、イギリスではそれよりさらに数年早く、1948年のマンチェスター大学のBaby、1949年のケンブリッジ大学のEDSACなどが開発されている。フォン・ノイマン自身も本当の情報時代のパイオニアは自分ではなく、チューリングであることを認めているようだ。

 チューリングの周りには、ニューマンやヒルトン、グッドのようなユダヤ系の優秀な頭脳集団がいたし、実際に彼らはブレッチリー・パークのスター的存在だった。特にマックス・ニューマンはチューリングにとって師匠に当たる人で、彼らの関係は量子力学でのニールス・ボーアとハイゼンベルクの関係に似ている。本物のイノベーションが起きている現場には、必ずと言っていいほど、そこにはユダヤ人の頭脳集団が存在している。日本人だけしかいない日本の大学や企業から、本物のイノベーションが生まれるのは難しいだろう。

 面白いなと思うのは、ドイツを打ち負かしたのは、ホモ(チューリングは同性愛者だった)、低学歴の人間、ユダヤ人ということで、当時のナチのインテリのシステムの中では絶対に採用されることはなかった人達だ。この3者が戦時中という、国そのものがなくなってしまうかもしれないという危機的な状況の中で、各々が私心を捨てて、持てるすべての力を出し切ることにより、奇跡的に和声的にシンクロした。逆にドイツはもともと自分たちが持っていた良いところの全てをユダヤ人に持っていかれる結果になってしまった。日本人の「モノバカ」は民族が滅んでしまわない限り、治らないのかもしれない。

Imitation-Game_cut.jpg イミテーション・ゲーム(ベネディクト・カンバーバッチ主演)

by チイ


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OSの入れ替え(Ⅲ) [コンピューター]

 10月17日に、Macの最新OS XとなるYosemite(ヨセミテ)が無料リリースされた。早速、20の日にYosemiteへのアップグレードを1時間くらいかけて行った。前回のMavericksリリースから丁度1年後のリリースというわけで、アップルのOSの進化のスピードには本当に驚かされてしまう。今回のOSの更新で、CPUパワー的には大丈夫なのかな?と思いながらの更新だったが、さすがに画面が立ち上がるまでの時間は少しかかるようになってしまった。それでも立ち上がり後の操作スピードなどは問題なく現在快適に使えている。

 Windowsなどの場合でもそうだが、OSのメジャー更新ではCPUの性能向上も求められるので、通常は快適に使いたいなら、ハード/ソフト合わせて買い替えになってしまう。私としては、これからはPCのハードの買い替えは10年に1度くらいのペースにしてもらって、その間は今アップルがやっているようなOSの無償入れ替えで機能アップを図るというのが一番ベストな方法のように思う。

 今回のYosemiteではOSのヴァージョンが、10.9を通り越して10.10になって、所謂メジャーアップデートということらしい。Lion以降の集大成であり、iOSとの統合を図るべく、iPhoneやiPadのiOSで採用している「フラットデザイン」がMacにも取り入れられた。(最初はフラットデザインに戸惑ってしまったが、すぐに慣れてしまった。)Xcodeもヴァージョン6.1にアップグレードされ、Objective-Cに替わる新たなプログラミング言語、「Swift」も発表になったようなので、この際、覚えてしまおうと思っている。

 私は最近はMacではほとんど「ターミナル」を使って仕事をしている。Windowsでも数年前までは、Webアプリケーションを作成するのに、ApacheやMysqlが同梱されたXamppを使っていたが、今はWindows上でVMwareなどの仮想マシンを立ち上げて、その上でCentOSやFedoraやUbuntus Serverなどを目的に応じて切り替えて走らせたLinuxの環境下で行っている。Mac、WindowsともにUNIXライクな環境で仕事をする時間が増えてきている。改めて、ソフトウエアパワーを実感するこの頃である。 

 これからの21世紀は本当にソフトウエアの時代になると思う。家電分野は既にこの波に飲み込まれてしまった。今家電分野で、「我が社の競争力はクライアントのハードウエアにある。」などと本気で言っているメーカーは、早々に店を畳んでこの分野からは速やかに退場した方がいい。今は家電くらいで済んでいるがいずれこの波は、自動車や重電機器をも飲み込んでいってしまうことは間違いないと思う。

by チイ


お金の使い道~コンピュータサイエンスのモデル都市構想~ [コンピューター]

 現在、日本は国と地方の負債額を合わせると1400兆円を超えていると言われている。個人の金融資産が1600兆円と言われているので、今のように毎年の国の予算の100兆円の半分以上を国債発行に頼って続ければ、後数年でその差は逆転してしまう。そしてその時の国民一人当たりの借金に換算すると、1000万円/人程度の借金を背負っていることになるそうだ。

 戦後、日本人はとにかくお金になる技術や経済だけを、エコノミックアニマルと揶揄されようがかまわず、他のことには目もくれずにしゃかりきになって働いてきた。しかし、それが後数年でちゃらの状態に戻ろうとしている。政府が使うお金は、先が分からない未来への投資と言うよりは、現状無くなりつつある古い製造業の再生や雇用確保、または公共事業と称してゼネコンにばら撒かれるお金などにそのほとんどが費やされてしまっている。他にもっと有用なお金の使い道はないのだろうか?

 たとえば、ソニーは、この10年間でのTV事業に費やしたお金とPS3に投入したお金の合計だけでも、軽く1兆5千億円は使ってしまっていると思う。もし、その内の1兆円を、時価総額が10兆円を超えていた時に、EUのCERNに総工費を含めて無償提供する代わりに、そこで開発された技術をソニーが優先的に使わせてもらえる契約をしていたら、ソニーは少なくとも21世紀の中頃までの最先端のコンピュータ技術をただで手にできていたわけだ。お金は使いようだと思う。またグローバル化の時代、日本人が苦手な事を、最初から全て自分達の力だけでやる必要もない。

 21世紀は大学の全ての学部(科)の中で、コンピュータサイエンス学部(科)が一番重要な学部(科)になると思う。その人材確保が最優先課題になると思われる。現在、クラウド→AIへの流れは着実にかつ凄いスピードで進行しつつある。neuromorphic chipや量子コンピュータ(量子コンピュータは、従来の「量子ゲート方式」では実現が21世紀後半と言われていたが、現在別の「量子アニーリング」と言う方式が既に実用化され注目を集めている。)などもいよいよ実用化の段階に入りつつある。また、非ノイマン型のコンピュータになることで、OSなどのソフトウエアも多分、基本的にゼロベースからのつくり直しになるだろう。今後、コンピュータサイエンスとしてやることは山のようにたくさん出てくると思う。

 今現在、日本の大学にはコンピュータサイエンス学部(科)は、(一部の私学を除いて)基本的には存在しない。たとえば松山のような地方都市の愛媛大学に本格的なコンピュータサイエンス学部(科)を作ってみてはどうだろうか?その際、世界的に著名なWASPやユダヤ人のコンピュータサイエンスの教授(たとえば、HintonやBengioのような人、まだ若くてソフトをバリバリに書くような人)を三顧の礼をもってスカウトしてくる。そのための資金は地方から国の地方創世担当相に企画書を提出して、貰ってきた補助金は全てその人の裁量で自由に使ってもらえるようにする。給料も他の教授陣の数十倍くらい払ってもいいと思う。その人を核にして、松山を日本初となるコンピュータサイエンスのモデル都市として再生するのだ。

 その際私が絶対やったらいいと思っていることをまとめると、

  • その人のスタッフは海外から全員連れてこれるようにする。
  • 政府からの補助金はその人の裁量で自由に使ってもらう。
  • 生徒は海外、国内を問わず世界中から優秀な人材を広く集める。
  • 授業は全て英語で行う。
  • 市内の中高生のソフトウエア部活からの中‐高‐大にまたがる一貫したサポート体制の確立。(注)
  • 将来のコンピュータサイエンス分野での起業に向けたサポート。
  • どこで起業するにしても松山を中心とした、人的な繋がりを大事にする。

 日本に、コンピュータサイエンス学部(科)がないということは、日本人にはその必要性が分かっていないということだから、最初は彼らにコンピュータサイエンスとは何なのかを含めてそれを教えてもらえばいいと思う。またこれが成功すれば、大学の価値の多様化にもつながると思うし、今の日本の大学の序列みたいなものにも風穴を開けられるかもしれない。(アメリカのIT産業はハーバードやMITといった東海岸の名門大学ではなく、当時西海岸の田舎大学だったスタンフォードから生まれている。)まだ日本のどこにも無いということは、それを一番最初にやった人に一番チャンスがあるということです。

(注)中高生の一般の全員がIT授業の中でやるものとは別のものです。ソフトウエアなどを部活レベルでやるくらい好きでお宅になれる人達のためのサポートや講義などです。できれば大学初年度までに1万時間をクリアできるような指導。

by チイ


OSの入れ替え(Ⅱ) [コンピューター]

 10月の18日に、MicrosoftのOS、Windows8が最新版のWindows8.1に無償で一般公開となった。こちらも手持ちのデスクトップPCを、10月の月末に1時間ほどかけてOSのアップグレードをしてしまった。WindowsPCも買って数か月ほどしかたってなかったので、この間に入れたオープンソースの数も大したことはなかったので、比較的すんなり乗り換えられた。それに合わせてVisual Studioの環境も2012から最新版の2013にアップグレードした。実は今現在、VS2012の使い方を勉強中だったのだが、とりあえずVS2013でも動かせるので、この際最新版の2013の環境に慣れておいた方がよいと思って。

 アップルのOS Xのマ―べリックスといい、ここのところOSの無償化が流行りのようだ。でもMicrosoftの場合は、さすがにWindows9が無償化になるようなことはないだろう。アップルは好きだけれども、マイクロソフトはちょっと・・・という人はかなり多いかもしれない。しかし私が思うに、自称ソフトエンジニアと言っている人で、もしその人がWindowsのVisual Studioの環境で一度もプログラミングしたことがないなら、多分その人はモグリだと思う。(たとえ、どんなに他のオープンソースなどに精通していて使っていたとしても。)

 Visual Studioはソフトウエアの広大な体系である。そのとてつもなく深い森は、全貌をうかがい知るにはあまりにも広大すぎる。従来からのWindows APIやMFCを使ったネイティブアプリ、2002年から提供が始まった.NET Frameworkを使った.NETアプリ、VS2012からは新たにWindowsストア・アプリも加わった。言語的には従来のC/C++、Visual Basicに加え、C#やF#、HTMLやJavaScriptと多義にわたる。これらを全て自由に使いこなすのは到底不可能にも思えるのだが、私はひととおり全部使えるようには努力している。(完全に私の頭脳のキャパシタンスを越えてしまっているのは重々承知してはいるのだが。)

 Windowsの悪口を言う人はたくさんいます。また私はアップルのシンプルさも大好きですが、マイクロソフトの特にEnterprise系で培ってきたソフトウエアの技術は無視できないと思います。壮大で重厚、でもただの「機能のてんこ盛り」とは違うのですよ。そこには欧米のコンピュータ・サイエンスが長い時間かけて培われてきた技術の粋が詰まっているように思うのです。ところで、マイクロソフトの中に、Visual Studioの細部に至るまで全てを完璧に分かっている人っているのかな?もしいたとすれば、多分その人はノーベル賞やフィールズ賞の受賞者よりも優秀な人だと思います。

by チイ


OSの入れ替え [コンピューター]

 22日に、アップルのOS Xの最新バージョン(V10.9)「Mavericks」(マーべリックス)が無償で公開になった。実は9月の始め頃に、13インチのMacBook Proのノート(OS X V10.8 Mountain Lion)を買ったばかりだったのだが、1カ月ちょっと使っただけで、今日1時間くらいかけて新しいOSに入れ替えてしまった。 

 今の所、Xcodeでobjective-cのプログラムを書くとか、Pythonを使うくらいの用途でしか使ってなかったので、なんの躊躇もなく入れ替えてしまった。私は、MACは基本的には、App Storeで買った無償/有償版のソフト以外は、オープンソースはなるべく入れないで使っていく方針でいる。その方がOSを更新した際、安心して使えるので。

 09年にWindows7が出た時に、現在も使っているVistaを7にアップグレードすることも考えたが止めた。私はWindowsには数えきれないほどのオープンソースやフレームワークなどを入れてしまっているため、OS入れ替えでそれらが動かなくなった時、全てに対応できる自信がなかったので止めにしてしまった。しかもWindowsは有償なのでお金もかかってしまう。

 日本のメーカーのPCやタブレット、スマホのOSがWindowsやAndroidでどのメーカーでも同じなのに対して、アップルの洗練されたiOSやOS Xの独自性はアップル製品の魅力を際立たせている。しかも、こんなすばらしいOSが無償でアップグレードできてしまえば、アップルの製品が売れるのは当たり前だと思う。

 OSを作る仕事は、自然科学の体系を作る仕事に似ていると思う。日本のメーカーはいまだにハードの箱モノを作ることがシステム設計だと思っている節があって、OSを含めたソフトウエアを本気でやっていこうという意気込みは全然感じられない。もっとも、今日本の大学の工学部や理学部に、コンピュータ・サイエンス学科がひとつもないことを考えれば、この分野で、WASPやユダヤ人のソフトエンジニアと競争するのは無謀な挑戦には違いないのだが。

 日本の政府もオペレーティングシステムを入れ替えようという発想は全くないように思われる。20年の東京五輪、福島を含めた東北の復興、地球温暖化による災害規模の拡大に伴う災害復興、今のままやっていると日本全国、公共事業(ハードウエア・プラットフォーム)だらけになってしまうのではないか?日本の政府も企業もハードはもうほどほどにして、ソフトウエアとしてのオペレーティングシステムを刷新する時期に来ているように思うのだが、以前20世紀型の古い産業構造の枠組みを抜けきれないでいる。アップルの「Mavericks」発表のビデオを見るにつけ、世界と日本差はどんどん開いていってしまっているように感じてしまう。

by チイ


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