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サッカーにみる身体性 [スポーツ]

 今回のサッカーのブラジル・ワールドカップの日本代表は、グループステージ敗退という残念な結果に終わってしまったが、まるで8年前のジーコ・ジャパンの時のドイツ大会の再現ビデオを見せられているような戦いだった。スペインのグループステージ敗退からも分かるように、パス・サッカー自体がこの4年間で研究されつくされた感があって、それだけで決勝トーナメントに進むのは難しいと感じた。
 
 勝ち進んでいるチームを見てみても、FWである程度の長い距離をドリブルできる選手がいないチームは勝ち進むのは難しい。これからは日本代表もFWにドリブルができる選手を起用していかないと、パス・サッカーだけに頼っていたのでは、だれが監督になろうが結果は同じことの繰り返しになると思う。攻撃の基本はドリブルとパスの組み合わせを変幻自在に変えていくことになるわけだから、その一方がないとどうしても攻撃そのものが単調になってしまって、見ていても面白くない。

 サッカーはイングランド発の狩猟民族の典型的な点取りゲームなのだが、ヨーロッパはさすがに発祥の地だけあって、白人の選手には、彼ら独特のサッカーに必要なボールをトラップしたり、パスしたり、ドリブルしたり、シュートしたりといった身体性があるし、またドイツに代表されるようにヨーロッパは、組織的なプレーも得意だ。一方、南米のチームは、地元インディオと黒人と白人の血が混じった、南米独特に進化したサッカーの身体性みたいなものを感じる。たとえば敵をかわす上半身の動きであったり、ドリブルを踏むステップ(南米の選手は後打ちのリズムでドリブルする選手が多い)など、それらは彼らの体の中から自然に沸き上がってくるものだ。アフリカの選手は、その圧倒的な身体的能力の高さを持っている。

 ところが、残念なことに日本選手には、自分たちが本来持っている身体性で、それがサッカーの動きに合っていると感じられるようなものがあまりない。技術はそれなりに高いのだが、それはあくまでいい所取りで真似をした借り物の技術であって、自分たちの体の中から自然と沸き上がってくるようなものではない。それに日本選手はセットプレーなどの止まっているボールの扱いは上手だが、動いているボールを扱うのは下手糞だし、流れの中で力強い正確なシュートも打てない。よく体の大きさやフィジカルの強さのことなども言われるが、ブラジル代表にしたって、体格的には日本人とはほとんど差がない。アジアの農耕民族には、サッカーは元々合ってないのかもしれない。

 身体性というと、思考にもその民族特有の身体性みたいなものがあると思う。たとえば、ユダヤ人の思考の身体性の特徴は、そのスケールの大きさにあると思う。クラウドのようなものは日本社会からは絶対に出てこないと思う。誰が一千万台を超えるようなサーバー群にデータを集めたり、またそのデータを管理、制御するためのソフトウエアを書いたりというようなことを考えるだろうか?それを技術的に本当に実現してしまったわけだから、その段階でもう勝負ありといったところだろう。応用するにしてもユダヤ人はスケールがでかい。アインシュタインは、重力を幾何学化して、それまで抽象数学の産物で何の役にも立たないと思われていたリーマン幾何を使ってみせた。

 またユダヤ人は昔から世界標準のプラットフォームを作るのが得意だ。量子力学では基礎方程式としてシュレディンガーが「波動力学」をつくり、ハイゼンベルクが「行列力学」をつくり、科学の世界ではそれらは同等のものであることが証明されているが、実際に使われるのはシュレディンガー方程式の方が遥かに多い。また点電荷の発散の問題を解決する「くりこみ理論」は、朝永振一郎が「超多時間論」を、ファインマンが「経路積分」を使って解決して、それらの同等性も証明されているが、実際に使われるのはファインマンの経路積分の方が遥かに多い。科学の世界ではこれらは勿論同等に評価されているが、工学上の世界的なプラットフォームという意味においては、ユダヤ人の作ったプラットフォームの一人勝ちといったところだろう。

by チイ

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