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これまで自分たちが出来なかった事をやれるようになるということ [経済]

 先月の終わり頃、スティーブ・ジョブズ氏がアップルのCEOを退任することになった。後任には、ティム・クック最高執行責任者(COO)が付く予定だそうだ。(癌で激やせのジョブズのプレゼンを見るのは忍びなかったが、体力の限界というところなのだろう。後任のティム・クック氏も痩せていて、戦う男の顔をしている。日本のCEOのように毎晩お付き合いで飲み歩いている人達とは別種の人間だ。)

 6月のブログにアップルのクラウドコンピューティング戦略のことを書いたが、実はアップルは本格的なクラウドに挑戦するのはこれで4度目だそうだ。これまでの3度の試みはいずれもうまくいっていないようである。元々アップルは、マイクロソフトなどと同じで、ソフトのネイティブアプリには強いが、Webアプリはあまり得意ではない。またグーグルのような分散型のネットワークコンピューティングも本来得意分野ではない。しかし、今回の4度目のチャレンジで、米ノースカロライナの巨大データセンターの稼働に伴うiCloudで、会社の命運をかけて本格的なクラウドコンピューティングに挑もうとしている。ジョブズとしては、アップルの時価総額が最高になった時点で、お金のあるうちに巨大データセンターを何機か建設して、後は若い世代に将来を託する形で退いたのだろう。評論家の中には、アップルがこの先、成功するかどうか非常にリスクは大きいという人もたくさんいるようだが、ジョブズはこのチャレンジなしで将来のアップルがないことは、はっきりと確信していると思う。

 一方、グーグルの方もモトローラ・モバイルを買収して、これまで唯一苦手にしていたハードウエアの分野にも積極的に参画して来ている。米の両最先端企業がリスクを取って、自分たちのテリトリーを広げようとしているわけだ。今、グローバル化の波に乗り遅れた日本の大手企業の中で、彼らほどリスクを取って、チャレンジしようとしている企業がどれくらいあるのだろうか?日本政府の方も、金融緩和、緊縮財政で為替介入を行って円安を誘導して、あいかわらず古い製造業を守ろうとしている。(それと同じ政策で製造業を守って、失われた20年を経験して、世界金融危機を誘発させておいて、まだ懲りずにその道を歩もうとしている。)

 今は、グローバル化した世界経済の流れに素直に対応していった方が良い。為替介入しなければ、円高は50円台くらいまでいってしまうかもしれない。それが世界経済の流れであるならば、今日本にある製造業の大部分は中国や東南アジア、インド、ブラジルなどに出ていけばよい。今の日本の自動車、テレビ、デジカメなどは設計部隊を含めて、それをやりたい人達は海外に出て行ってやればよいだけの話だ。(要するに、海外の安い電力や人件費を使って、日本人の使うモノを海外で生産すればいいだけの話だ。それを無理をして日本に残そうとするから問題が大きくなってしまう。)そして、空洞化した日本国内の産業には、システムやソフトウエアのなどの高付加価値サービス産業を興してビジネスモデルの大転換を図っていくしかない。簡単に書いているが、これはどんなに苦しくともそれを成し遂げなければ日本の将来は絶対にない。

 今、日本の産業界は大転換を迫られている。失われた20年を経て、原発、電力の問題なども抱えて、もう待ったなしの状態に追い込まれている。そしてそれは、ハード=>ソフトウエア・システム、モノ=>有機的な情報、目に見えるモノ=>目に見えないモノ、への軸足の移動と言ってもいい。これからの時代、ハード(モノ)の差別化で自社の強みをだして生き残りを考えているような企業は、間違いなく没落していってしまうだろう。自分達が得意な事をやっても駄目な場合は、自分たちの不得意な分野を出来るようにして、自分達自身が変わっていく以外に生き残っていく方法はない。ネットに代表されるように、世の中がシステム化するということは、目に見えないものが主役になっていくということだ。(そしてそのシステムの中心はハードではなくてソフトウエアになっていく。)東日本の大震災での津波、原発事故(放射能)は、私達日本人に、目に見えるモノから目に見えないモノへの価値観の転換を訴えているように私には感じる。

 日本の産業界の人達は、旧日本軍が越えられらかったモノから情報への転換のまっただ中に自分達がいることを自覚して、必死になってその壁を乗り越えることを真剣に考えた方が良い。そんな時、「モノ作り」を声高に叫んで、自分達の得意な事をいくらやっても、結局は、「ものつくり敗戦」になってしまう。もうそんなことをやっている余裕も時間もないはずだ。「モノ作り」にしても元々は日本人が欧米人に教えてもらったものだ。旧日本軍は、大量生産を経験していなかったので、戦後はアメリカから生産管理の手法を学んで、モノ作り大国になった。日本人は、それが他人から教えてもらったものでも、それを極めてその人を追い越したと分かった途端に、それは自分達のオリジナルだといつも言い出して、それを守ることにきゅうきゅうとしてしまう。極めたのなら、そんなものとはとっととおさらばして、新しいことにチャレンジすればいいだけの話だ。

 現在、日本がソフトウエアが大事だと分かっていても、それに手を出せないのは、日本のソフトウエアが置かれていた特殊な事情にも要因がある。今まで、日本では、ソフトウエアとは組み込みソフトウエアのことだった。日本のソフトウエアは、ハードウエアと密接な関係にある組み込みソフトとして発展してきたので、その分野はまだいいが、それ以外の分野ではからっきし駄目だ。そして、今米のIT産業を牽引している高付加価値を生むソフトウエアの技術は、コンピュータサイエンスに代表されるようなソフトウエアの技術だ。オペレーティングシステム、コンパイラ技術、仮想化技術、ブラウジングの技術、データベース、並列化処理、分散コンピューティング、フレームワーク技術など、今まで日本が全て欧米に丸投げしていた技術が中心になっている。ある人も書いていたが、ハード=>ソフトへの主役の交代は、時代が20世紀から21世紀に移る頃に起こったと言われていて、付加価値の重さの逆転として、本質的な技術の軸足移動となった。(丁度、ウォークマンがiPodに駆逐されたあたりからだ。)このあたりのソフトウエアの技術は、日進月歩で、それこそ半年~1年その世界から遠ざかれば完全に浦島太郎になってしまうほど進化のスピードが速い。企業の取り組みだけではもう間に合わないだろう。国内の大学などでもこのへんの最先端のソフトウエア技術を導入して教えるような学科の新設なども早急に行う必要があるように思う。それに加えて、国内のオープンソースの取り組みの活性化などにも依るところが大きいと思う。

by チイ


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2011年景気予想 [経済]

 堺屋太一氏によると、日本経済にとっての勝負の年は、来年、2011年になるということらしいが、今世界は、1870年型の世界同時不況が既に始まっているらしい。(米、ノーベル経済学賞受賞のポール・クルーグマンが1870年型の大不況が始まったということを盛んに言っているらしい。この不況は1929年の世界大恐慌のように株価が一気に大暴落する局面をともなう不況ではなく、じわじわと緩やかに、しかし何年も続いていく不況なのだそうだ。)この不況はいわゆる「バランスシート不況」であり、構造的な不況であるため、米、欧州共に少なくとも3~4年、おそらくは10年か、さらに長いと言われている。欧米の落ち込みに引っ張られて中国や、インドもじわじわと失速していくことになるので、彼らが高度成長によって欧米や日本を引っ張り上げてくれることにはならないらしい。

 特に、2011、12年は日本ではエコカーやエコ家電の補助金が打ち切られたり、中国での五輪、上海万博などの国を挙げてのイベントがなくなるので、最初の数年の落ち込みは特に大きくなりそうに思われる。日本は、「デフレ」、「円高」、「株安」の3重苦に襲われ、特にデフレの下落は構造的なものなので、それは前提として受け入れるしかない。日本を含め、世界中で今まで以上にモノが売れなくなるという傾向は強まっていく。日本の国債の発行残高は900兆円、個人の金融資産が1400兆円と言われているが、正味の金融資産と国債残高の差は200兆円程度らしいので、毎年50兆円ずつ4年間発行し続ければ、5年後にはついにその差が逆転してしまう。政府にとっても、この4~5年が財政再建の最後のチャンスということになるのだろう。

 最近、日経ビジネスを読んでいたら、「アップルの死角」という記事でアップルの製品のラインナップの少なさが指摘されていた。日本の家電メーカはラインナップや品種展開が豊富なのでいずれアップルを凌駕してしまうだろうというような内容だった。御存知のように、ジョブズがアップルに復帰してまず最初にやったことはそれまで多様多品種におよんでいたアップルの製品を本当に売れるモノだけにラインナップを絞り込んだことだ。その戦略はipod、iphone、ipadに至るまで続いている。ヒット商品しか作らないので、それが売れなくなったり、ヒットしなくなると経営が極端に悪化するというものだ。しかし、それは本当だろうか?日本の家電メーカは、モノがあふれていた時代の不景気対策を今まで同様の手法でやっている訳だ。私は、アップルは今まで以上にだんだんモノを生産しなくなるのではないかと思っている。グーグルやヤフー、マイクロソフトのようなプラットフォーム型のビジネスにだんだん近づいていくように思われる。

 クラウドの情報化社会の中では、モノは必然的に減っていかなければならないのである。だからといってモノ(ハードウエア)がなくなるわけではない。今、日本のハード・メーカーが特に考えておかなければいけないことは、クラウド時代のハードウエアに求められる要件は、これまでのものとは全く違ったものになるはずだ。そして、その新しい要件を決めるのは、やはりサービス(ソフトウエア)である。魅力的なサービスとそれを事業として可能にするビジネスモデル、それあってのハードウエアという考えがさらに加速するだろう。ハード・メーカーの事情や思い込みでハードウエアを作れる時代は、完全に終わりを告げると考えた方がよい。

by チイ


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航空母艦 [経済]

 最近、中国が空母を持つということが話題になっている。日本にとっては大きな軍事的脅威になるし、西太平洋でのアメリカとの軍事バランスにも影響が出てくることを心配する人もいるようだ。

 自分の親を大平洋戦争の経験者に持つ人は、子供の頃に、ゼロ戦や、戦艦大和のプラモデルを作った経験のある方は多いと思う。私も小学生の低学年の頃、父親と戦艦大和のプラモデルを作って、池で浮かべた記憶がある。そんな人の中で、日本の空母(赤城や飛龍、蒼龍、加賀)のプラモデルを作った経験をお持ちの方はいるだろうか?私の記憶では、当時、空母のプラモデルを他の人が作っているのを見た記憶はないし、またそれらが実際にお店で売られていたかどうかも記憶にない。

 空母は大平洋戦争中、最新の主力軍事兵器だったし、実際開戦時から終戦までの間、第一線でもっとも活躍した兵器でもあった。日米双方ともに、いかに相手方の主力空母を多く沈めるかが勝敗の分かれ目にもなった。空母は当時の一番重要な最新兵器であったにもかかわらず、戦争の象徴として日本人の心の中にはに残らなかった。代わりに、日露戦争や第1次世界大戦時で活躍した戦艦の極みである戦艦大和と、これまた当時の極みのような戦闘機であるゼロ戦が戦争の象徴として日本人の心に残った。ここに多くの日本人の美意識を見るような気がする。要するに、日本人にとっては、当時の一番重要な最新兵器である空母よりも、極みのような戦艦大和やゼロ戦の方に愛着を感じてしまうのである。

 何故、空母のことを書いているかといえば、これからのクラウドの時代が、まさにこの空母型の産業構造になっていく可能性があるからだ。さしずめ、巨大データセンターが大型空母に相当し、その上で動く並列分散処理のソフトウエアが当時の高性能レーダーシステムに相当するのだろう。戦闘機を中心とた艦載機がこれまでのメーカーが作ってきた製品(ハード、組み込みソフトを含む)に相当することになるのだろう。クラウドの時代、これらの技術の重要性を一概に論じることは難しいが、あえてその順番をつけるとすれば、

① データセンターのソフトウエア

② データセンターのハードウエア

③ 製品の組み込みソフト

④ 製品のハードウエア

の順になると思う。要するにもう単体の製品だけ作っていればよい時代ではなくなっているのだ。その名の通りクラウド(雲の向こう側)のハードとソフト無しには、製品の戦略も立てられないし、その仕様さえも決められないような時代になってくるわけだ。現在アップルの製品が巷をにぎわして話題になっているが、アップルは間違いなく、デバイスにはあまり興味はないはずだ。実際にハードは仕様だけ切って、どこかのメーカーに下請けにでも出しているのだろう。アップルの見ている所は、グーグルと同じはずだ。マイクロソフトにしても同じ所を見ていると思う。

 日本の産業界は、これから再び、旧日本軍が体験した太平洋戦争の再戦を経験することになると思う。旧日本軍は、結局、当時の最新兵器であった空母を本当の意味で使いこなせないで、終戦まで極みのような戦闘機だけ作って敗れていった。この敗戦から日本が何を学んだかが試される機会になると思う。

by チイ


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所有からの解放 [経済]

 人類は、今全ての面において、一度、「所有」ということから解放される必要があるように思う。特に20世紀は、「地球上の資源、エネルギーが無尽蔵にある」という前提のもとに、企業が次々と新しいお題目を作って、個人に何でもかんでも所有させようとした時代だった。「マイハウス」、「マイカー」、「マイTV」・・・といったように人間の「モノの所有欲」を煽って経済を発展させてきた時代だった。

 その結果、現在、裕福な人とは、多くのモノを所有している人になってしまった。「お金の所有」、「物質的なモノの所有」、「人の所有」、などなど。最近、ある雑誌に、「現役東大生の親の60%が年収1000万円以上」という記事が出ていた。一般的に言って、東大生は、日本で一番裕福な親を持っている大学生ということになる。今は、明治や戦後まもない頃のように、貧しい家庭の子供が、みかん箱の上で、蝋燭や裸電球の光で勉強して上の地位まで登っていくというような時代ではなくなってきている訳だ。

 そして現在、この「所有ゲーム」による経済運営が、全ての面でいきずまってしまってきていることはだれの目にも明らかだ。各国の莫大な財政赤字、行き過ぎたマネーゲームによる金融破壊、地球地下資源の枯渇とそれに伴う環境破壊、産業廃棄物処理の問題、・・・それでも企業は相変わらず、色々なお題目を作って、個人に多くのモノを所有させようとする。そういう意味でも、今は人類にとって本当の知恵が試されている時なのだと思う。今、日本の企業で、業績が悪くなって、今まで以上に個人や企業にたくさんのモノを所有させるという以外の戦略を持って、企業経営しているような会社はどれくらいあるのだろうか?いずれにしても今までのように売れ筋のものを派生展開して、量的拡大を目指すといったような戦略では、ほとんど成り立たなくなってしまうだろう。

 所有の量的拡大を目指すことは、もう無理なのである。逆に人類は今までの歴史を振り返ってみると、所有から解放されることで多くのエネルギーを得て、人類にとっての新しい局面を切り開いて来ている。これからは、「所有の量的拡大」ではなくて、「所有からの解放」、「所有の再編成」が必要な時代になってくる。前ブログでも書いたように、西洋のルネサンスは、人が「財の所有」から解放されることで大きく花が開いた。(NYの証券取引所の取引はほとんどがコンピュータによる為替の取り引きで、実物経済を伴うものは1%もないそうです。金融も、フランチェスコの時代の「信託制度」の原点に戻る必要があるように思う。)そして今、欧米から起こりつつある「クラウド」によって、人類は、「モノからの解放」が実現可能な状態になりつつある。欧米のインテリジェンスがこの技術の構築に向けて日々努力を積み重ねている。今、人類は、この新しい可能性に向かってチャレンジすべきなのである。

 以前のブログに、21世紀の理想社会として、「個人や企業のモノの所有を最小化し、情報としてのデータの利用を最大化する社会」(これは私が管総理が所信表明の時に言った、「最小不幸社会」にヒントを得て作った言葉です。)ということを書いたが、このような社会になると、地球上の多くの人々に多くの可能性が生まれてくる。上に書いたように今の日本社会は、既に、財を所有していないと上に登っていけないような社会構造になってしまっている。この社会が実現すると、インドやブラジルやアフリカのスラム街から、コンピュータの天才や天才プログラマーが次々に生まれてくることも夢ではなくなってくる。いずれにしても、「所有の量的拡大を目指す」戦略では、持続可能な循環型の経済にはならない。日本人もいつまでも極みのようなモノばかり作ってないで、本当の意味でのインテリジェンスを発揮する時に来ているように思う。

by チイ


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創造的破壊 [経済]

 COP15も結局は、途上国へのCO2の削減目標を義務化できないで終わってしまいました。このまま推移すると、多分この5~10年以内くらいの間に、地球規模での産業活動の一時停止や自粛といった事態に追い込まれるのではないでしょうか?(前にも書きましたが、一度トリガーを引いてしまってからでは、もう時すでに遅しの状態になってしまっている訳ですが。。。)

 このブログでもこれまで少しずつ書いてきましたが、私はこの数年内に欧米発の産業構造の「創造的破壊」が始まると考えています。そして、その破壊の中心になるのが、「エネルギー革命」と「脱物質化」だと考えています。実は、この2つは一方だけでは駄目で、必ず両方とも必要になります。つまり今後世界をリードしていく国は、この2つの技術を合わせもった国になるということです。

 今、日本を含めた世界経済の2番底が懸念されていますが、歴史の必然性から言って、「創造的破壊」が始まる前の世界経済の落ち込みは、相当に大きなものにならざるを得ません。「創造的破壊」は従来の既成産業が全て打ち砕かれて駄目になって、皆があきらめかけた頃に突然やって来るのです。(逆に言うと、創造的破壊が起きるためには、従来の既成産業の構造が壊れて、ゼロリセットされる必要がある訳です。)そして、それは今後の地球環境を守っていくためにも、必ず起きなければなりません。

 今日本の新聞や雑誌などでは、「エネルギー革命」についてはたくさん書かれていますが、「脱物質化」についてはあまりその具体像について書かれたものは少ないと思います。せいぜい各社のサーバーがなくなって、それがデータセンターのサーバーに置き換わるといった内容のものがほとんどです。私はクラウドの完成形は「家電のコンピュータ化」だと考えています。20世紀の大量生産の時代は、コンピュータが家電製品の中に入った時代です。つまり家電製品が「主」で、コンピュータが「従」の関係にあったわけです。それが21世紀では逆転して、「家電がコンピュータの中に入る」時代になると考えています。家電製品の重要な設計のほとんどが、データセンターのサーバー上で行われるようになり、個人が所有する機器は、数量共に「最低限のハードウエアと組み込みソフトウエア」といったシンプルな構成になるのではないでしょうか?(言ってみれば、家電のネットブック化のようなものです。)

 21世紀では当然、高性能のコンピュータが入った複雑な製品を大量に世界中にばらまいて売るといったような商売はできなくなってくる訳です。(G20でこれをやれば、地球上のIT資源はすぐに枯渇して、大量のゴミの問題で地球は汚染されてしまいます。)ハードウエアの肥大化には、データセンターのコンピュータの性能向上で対処するのが一番いい訳です。そしてその端末になる家電製品は、データセンターのサーバーで必要な最終形のデータに変換された情報を受信するだけのものになる。クラウドの時代、家電の「最終仕様」を決めるのは、データセンターやサーバーの応用ソフトを書く人になってくるのではないでしょうか?この場合、端末の家電製品の設計/生産は、途上国が先進国からの仕様を受けて行うといった形態になっていくと思います。

 今コンピュータは、「集中」(メインフレーム時代)から「分散」(個人のPCとインターネットの時代)を経て、再び「集中」へと向かっています。これは前にも書いた、分散したサーバーや個人端末のデータセンターによる一元管理で、そのことで今後の地球上のエネルギーの集中管理による省エネ化やハードウエアのゴミの問題が解決される訳です。一方でエネルギーはクリーンエネルギーになることで、今「集中」から「分散」がすでに始っています。この分散したエネルギーを効率的に移動したり管理するためにクラウドのIT技術が使われています。「エネルギー革命」と「脱物質化」の組み合わせの最適化によってしか、今後の地球環境の問題は解決しないのです。

 欧米各国では、多くの国がこの21世紀型の産業構造に既に転換しているか、または転換を進めているが、残念ながら日本ではまだまだ旧20世紀型の産業構造から脱却できていない。しかし、上にも書いたように、この「創造的破壊」は、近い将来に必ず起きます。欧米各国ではその準備は既に出来ているので、始まればそれはあっという間に世界を変えると思います。この数年間は、世界はそれに向けた、生みの苦しみを味わうことになると思いますが、人類は必ず、この「創造的破壊」で難局を乗り越えていけると信じています。

by チイ


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3度目の「坂の上の雲」~21世紀の日本人の食いぶち~ [経済]

 今後の世界経済の動向について色々調べてみると、大方の専門家の見方として、

  • 2010~2011年  2番底(エコーバブル)で、日本はデフレ、円高で(大)不況になる。
  • 2012年以降  ここから本当の創造的破壊のサイクルに突入して、従来の20世紀型の産業がいったんリセットされて、長期的成長過程のサイクルに入る。 

という予測のようです。私もこれに近い展開になると思っています。創造的破壊が起きるということはその後の日本人の食いぶちが、20世紀を代表する「車」や「AV家電製品」ではなくなるということです。21世紀の日本人の新しい食いぶちは、いったいどういったものになっているのでしょうか?(中には、創造的破壊など起きないと言う人もいるかもしれません。しかし想像してみてください。中国人一人当たりが、今の日本のように携帯やデジカメを一人で5、6台も所有するようになった時のことを。ゴミの山がチベットほどの高さになるはずです。それは地球滅亡へのシナリオです。)

  最近ある本の中に、日本はこれまでに2度の「坂の上の雲」を体験してきたというようなことが書かれてあった。1度目はこれからTVで放映されるであろう、明治の文明開化の時代。2度目が第2次大戦後の高度経済成長の時代である。普通の国ならば、1回の成長で子供から大人になって、後は成熟社会を迎える訳ですが、日本はこれを2回やっている訳です。2回やるということは、2度目でまた子供に戻るということを意味しています。そして上に書いたように、今度がいよいよ3度目の「坂の上の雲」です。日本は3度目の「坂の上の雲」でゼロリセットされて、また子供に戻るのでしょうか? 

よく日本の国の将来ビジョンについて語られる時、このまま「大人になりきらないで再び子供に戻る」道と「大人になって成熟社会を迎える」の2つの選択肢がある訳です。これからの日本の高齢者社会を考えた場合、必然的に後者になるだろうと思われますが、今の日本の風潮を見ていると、また子供に戻る道を選択するようにも思えます。日本人は「子供のように成長する」ことが大好きなのです。そして工業化社会を卒業した後も日本は本当の意味でまだ「大人」に成りきれていない。経済でも失われた20年を経過して未だ産業構造の転換は図られてないし、国防にしても未だアメリカというお母さんに守ってもらっている。芸術などの分野でもアニメや漫画、ゲームといった幼稚な状態のままです。大人になって成熟社会に入るということは、成長が止まると理解しているのでしょう。確かに成熟社会では、子供のような成長はもう期待できません。

  TVや新聞などでさかんに言われているのが、省エネやクリーンエネルギーなどの環境ビジネスです。脱石油、低炭素社会に向けた「エネルギー革命」が起きると言われています。もうひとつの大きな流れはコンピュータ・クラウドに代表される「脱物質化」の流れです。「脱物質化」の本質は、私は単に「ハード(モノ)からソフトへ」といったような使い古された言葉以上の内容を含んでいると考えています。それは一言でいうと「先進国での人間が創るモノの価値が、目に見えるモノから目に見えないモノへの段階に入った」ということだと思います。目に見えるモノとは、たとえばデザインがカッコいいとか、サイズが小さいとか、画質が綺麗だとか、そういうことです。そういったモノの価値が第1義的な価値ではなくなった。

それはオブジェクト志向やフレームワークに代表されるような「抽象化」と言ってもよい。21世紀では、目に見えないモノへのイマジネーションの働かない人や企業は生きていけない時代になると思います。「脱物質化」とは決して、「モノづくりがなくなる」ということではないと思います。日本人が言うところの「モノづくり」は狭い意味でのモノづくりです。クラウドの時代、日本人のいう「モノづくり」はどんどん「定型処理」に置き換えられて、それらは全て目に見えない抽象化されたモノづくりの中で行えるようになると私は思っています。

 子供は目に見えるモノへの成長は驚くほど速いですが、目に見えないモノへのイマジネーションは働きません。この「脱物質化」に日本人が今後どう対処していくかが日本の将来を考えた場合、大きなカギになりそうな気がします。

連合艦隊司令長官の山本五十六は第2次世界大戦開戦時から空母による航空兵力の優位性を主張した人で、日本海軍の中では先見性のあった名将と言われる。実際、ミッド・ウェイ海戦時(ミッド・ウェイ海戦は、日米の主力空母がはじめて正面切ってガチンコ勝負した戦いで、太平洋戦争の天王山と言われる戦い)、日本の空母の艦載機のハードウエアの性能は世界一だったし、兵力もアメリカの3倍以上もあった。しかしその戦いで日本は完膚無きまでに負けた。暗号、無線、レーダーといった目に見えないものへのイマジネーションが完全に欠落していたからだ。それは名将と言われた山本五十六にも当てはまる。

このままずっと子供のままでいるのか?それとも成熟した大人になる道を踏み出すのか?日本の将来のビジョンを考える場合、まず何よりもそれを選択して決断する必要があるように思う。 

by チイ


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GM破綻に思う [経済]

 今日6月1日は歴史に残る日になった。GMが米連邦破産法11条の適用を申請し、経営破綻 した。3月末時点の負債総額は1728億ドル(約16兆4100億円)で製造業としては世界最大の破綻となる。今後、一時国有化して3か月をめどに再建を目指す。この世界同時不況下、米経済、世界経済に与える影響の大きさを考えると、さすがにGMは大きすぎて潰せなかったのだろう。4月のクライスラーの破綻に続き、この数カ月の間にアメリカ経済の象徴であるビッグ3のうちに2つが経営破綻してしまった。

以前に米の自動車産業が苦境に陥った時、米政府はそれを救済しなかった。救済しなかったことでシリコンバレーから次世代のIT産業が生まれ、マイクロソフトやグーグルなどの新しい企業が育っていった。笑い話として、もしこの時に政府が自動車産業を救済していたら、結果としてマイクロソフトは生まれないで、今頃ビルゲイツはアメリカのどこかのガソリンスタンドで自動車の修理工をやっていただろうというような話もある。本来アメリカは古いものが壊れても、新しいものが生まれる新陳代謝の活力で回っていたが、今回ばかりはそうはいかなかったようだ。

いずれにしてもGMの再生はこれからが大変になるだろう。今アメリカの学生で一番優秀な人たちは自分たちでベンチャーを興す。次に優秀な人たちはグーグルやマイクロソフトなどのIT関連のソフト会社に入る。優秀な学生で、枯れた自動車産業に就職したいという人たちはほとんどいないのだろう。日本のように優秀な学生の半分が電気メーカーに就職して、半分が自動車メーカーに就職するといった具合にはなっていない。そんな状況の中、これから日本やインド、中国、欧州の自動車メーカーと競争していくことは容易なことではない。

 今金融機関では、メガバンクから小規模専業への流れが進んでいるそうである。銀行業務もやる、証券業務もやるといったような商品やサービスの「クロス・セリング」はうまく機能しなかった。拡大路線でメガバンクになって投資できる金額が極端に増えて、何でも売ってやろうということで暴走して破綻してしまった。日本でも、今は総合デパートは閉店に追い込まれているし、日立も総合電機メーカーの看板を下ろすことになった。GMも本来なら潰すべきだが、大きくなりすぎて潰せなかった。地球環境が無限だと思われていた時代は、拡大路線でおもいっきり加速して大きくなることが善だったが、地球環境が全ての面において有限であると分かった今日では、もう拡大成長路線は時代遅れのものであると同時に、私たちの存在そのものを脅かす危険なものになってしまった。日本の大手メーカーもこれからGMのように拡大成長路線時代に身につけた贅肉を今後削ぎ落として縮小、細分化して、本来の専業化への流れが加速していくことになると思う。地球環境が有限である以上、これからは危機管理の面でも、潰さないといけないときはすぐに潰せるような適正な企業サイズにしておくことはこれから政府にとっての重要な案件になってくると思う。 
 
 最近読んでいた経済本の中に、今金融危機対策として世界中でやっている財政刺激策はやってはいけないという論評のものがあった。これはいわゆるバブルでバブルを解消しようという考え方で非常に危険な考え方だ。またアメリカがドルを刷りまくって、そのお金でこれまでのように国民の大多数が借金をして日本製品をたくさん買う。それで日本企業が儲けたお金がアメリカに再度還流していってアメリカ経済を潤す。この流れが永遠に続けば、どこかの時点で必ず「ハイパーインフレ」がおこり、ドルが暴落してジ・エンド、ゲームオーバーになってしまう。財政投入が一時的に効果を発揮すると、世界はより危険な水域に入っていくことになるのだそうだ。私は経済のことに関してはまったくの素人だが、常識的に考えて、今のアメリカや日本政府の巨額の財政赤字にささえられた借金依存経済がこのまま長く続くとはとても思えない。今やるべきことは、「信用の回復と経済の健全性の回復」だと書かれていたが、私もそのように考える。経済の健全性を取り戻すために、現状の肥え太った経済規模を今の地球環境に見合った適正なサイズにまで戻すことで、その結果経済規模が縮小して失業者がたくさん出たとしてもそれは致し方のないことだ。その失業した人たちの生活を保障するために公的資金を使うべきだと思うし、裕福な人たちは余っている分のお金をその人たちに分配してあげればいい。今は経済を元の規模に戻すことやさらに拡大することではなく、「我慢する」ことが重要なのだ。
 
 最近よく思うことは、この危機が今のところ金融危機でよかったなということだ。なんだかんだいっても所詮は紙きれの勘定の問題なのである。仮に、金融危機が起こらないでBRICsの国々を巻き込んで、あのまま実体経済のほうが暴走して資源・エネルギーバブルを引き起こしでもしていたら、もっと悲惨な結果になっていたと思う。資源やエネルギーは一度使い切ってしまえばもう元には戻らないし(これは地球環境といった意味でも同じである。)、その確保のために最後は必ず戦争になる。その前の金融危機でよかったと考えるべきなのである。ひょっとしたら、これは神様がくれた最後のチャンスなのかもしれない。今自動車の販売台数は激減して、考えようによっては地球を綺麗にできるチャンスでもあるのだ。これからは知の形態や評価も変わってくると思う。これまでは、自分の仕事の範囲内で他の余計なことは考えないで、線形的におもいっきり加速できる人が重宝された。(これは地球環境が無限であるという前提があるからできた。)しかし地球環境が有限であると分かった今、これからはこのような考え方は危険でもあるし、もはやうすっぺらで浅はかな知ということになってしまうだろう。知の形態としては、螺旋階段を上るように全方位的に周りを俯瞰しながらゆっくりと登っていくような知が求められる時代になってくると思う。

by チイ


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世界金融危機に思う [経済]

 2、3年前、年末に本屋で立ち読みをしていた経済本の中に、後数年で未曾有の大恐慌時代に突入してしまうので、この数年の間が企業改革を行う最後のチャンスで、2000年以降の企業改革に失敗した会社は今後生き残れないだろうという趣旨のことが書かれてあった。著者が、今のような世界金融危機を予測していたかどうか定かではないが、結果としてその予想が当たってしまった感がある。それにしても今回の金融危機のバブル崩壊の規模は今までのものとは桁違いだ。

・リーマンショックから昨年の10月11日のG7が開かれた約1ヶ月間に世界から失われたお金は14兆ドル(1400兆円)に上る。

・金融派生商品(デリバティブ)の規模は2008年で750兆ドルまでに膨らんでいた。(世界のGDP総額が約50兆ドルとされるから、この額はそれを10倍以上も上回っている。)

・アメリカの累積赤字は、2007年11月の時点で、53兆ドルを突破。(回復の可能性はゼロと言われている。)

 実体経済の10倍以上のお金(ドル)が動いていたことになる。この10年くらいの間、日本が海外からドル建てで稼いだ外貨も実はほとんどが紙屑だったということになる。この不況は一般的には2~3年くらい続くと言われているが(短い人で今年度末か来年はじめくらい、長い人で10年くらいと言われている。)回復したとしても景気がもとの状態(実体経済の10倍ものお金が動くような状態)に戻ることはないだろう。さすがにいっきに実体経済と同じレベルになってしまったら、それこそ不景気で大恐慌に突入してしまう恐れもあるので、一般的にいって戻ったとしても実態経済の2~3倍といったところだろう。逆にこれ以上のドルを投入してしまえば、上記アメリカの累積赤字からして完全にドルが暴落してしまう。日本の企業は後数年辛抱すればもとの景気に戻ると思っているかもしれないが、上記数字からしてそうはならないだろう。日本企業が得意な、同じような製品を横展開してたくさん売るというビジネスモデルは多分これからは成り立たなくなるはずだ。

 いずれにしてもこの数字は日本が90年初めに起こったバブルの負債を約10年かけて地道に償却していったような正道のやり方では、もう絶対にもとに戻すことは不可能な数字だ。そこで言われているのが、1971年にニクソンが行ったような、「金本位制」から「変動相場制」への移行のようなウルトラC級の離れ業だ。これまでのアメリカのドルの負債を帳消しにして振り出しに戻すようなことをやってくるのではないかと言われている。具体的には今アメリカが画策している北米新通貨「アメロ」の導入がささやかれている。これを行われると、今日本や中国がもっている外貨ドルやアメリカ国債は実質紙切れ同然になってしまう。もっともそんなことを断りもなくやったら、日本はともかく、ドル保有高第1位の中国や第3位のロシアと戦争になってしまうので、何がしかの手はずは打ってくると思われるが、いずれにしてもそれで一番被害をこうむるのは日本だろうと言われている。

 もともとこの金融危機を招いたバブルのおおもとを支えていたのは、よく言われる日本が貿易黒字でためこんだドルでアメリカの国債を買っていわゆる「ドル循環」を作り出していたことによるものだから、日本も同罪だという意見もある。ビジネスのグローバル化に伴う金融化の流れ、金融派生商品、次期アメロの導入など自分達に都合のよいように世界の枠組みを作られて、これからも日本はそれに振り回されていくことになるのだろう。裏返せば、それは日本がこれまで、学術、芸術、政治、経済などの世界の汎根本的な枠組みの構築にほとんどそのエネルギーを投じてこなかったことのつけでもある。その欧米が作った基本原理を応用して日本が稼いだお金も、結局はかれらのために好きなように使われてしまっている。

 今回の金融危機で、アングロサクソンの精神は地に落ちたと言う人もいる。またアングロサクソンのせいで世界経済をめちゃくちゃにされて失業したり会社が潰れそうになって本当に怒っている人たちもいる。皆さん、今回の金融危機で何を思い、また何を考えさせられましたか?ひとつだけ言えるとしたら、今回の金融危機は今後の世界再編に向けた、世界にとっても日本にとっても大きな坂の上の分岐路に立たされているということだろう。今までのように思考停止して、景気が回復するまで我慢して、また昔のやり方でやればなんとかなると思っている国や企業は立ち行かなくなるだろう。おりしも今年末から司馬遼太郎の「坂の上の雲」の上映がはじまるが、それはあながち偶然でもないような気がする。

 

 byチイ


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