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日本人の聖書の読み方 [宗教]

 あらゆる文化のベースには宗教がある。でも残念ながら、「聖書」と仏教経典や論語、ギリシャ神話、日本書紀などは同等ではない。その分かりやすい説明として、最近、「白取春彦」著の「独学術」という本を書店で立ち読みしていたら、宗教知識が欠けている多くの日本人にはぴったりの「聖書」の解説がしてあった。その中で次のように書かれてある。

・真の教養の第一は聖書を読むことである。

・何を独学するにしても、聖書を読まずに始めるならば、新たな偏見を自分の中につくるだけに終わる。

 そして、その理由として次のように書いてある。

・世界には聖典だの経典だのというものがあまたあるが、その中でも世界の形成に事実として寄与してきたのは聖書だけである。キリスト教徒が世界で圧倒的多数を占めたために現代世界が形づくられた訳ではない。

・教養とは、結局は古代の中国官僚の処世術に過ぎない論語を読んで身につけるものではない。論語は世界の文化を形成していない。教養を身につけるとは、世界を形成してきた聖書を読むことなのである。

・つまらない誤解がある。聖書は、ユダヤ教やキリスト教に人々を勧誘するための書物ではない。また、聖書にありがたい教えばかりが書かれているのでもない。聖書に描かれているのは、人間への神の関わりである。

世界の土台が聖書にあるのだから、そこに何がどのように書かれているかを知っておくかどうかで世界の見方が変わるのは当然のことだ。仏教経典をいくら読んだところで世界は少しも理解できない。しかし、聖書を読んでいれば、仏教経典に何が書かれているのかさえ理解できるようになるのである。

 つまり聖書を読む必要があるのは、「聖書を知らないと世界が理解できない」からなのだ。特に若い人は、10代や20代の時に、聖書を一通り読んでおくことをお勧めする。特に将来、海外での仕事を考えている人にとっては必須だと思う。本当は高校3年間で学ぶ英文読解の各章のトピックスの中に、聖書を英語で読むような章を何箇所か入れてもいいように思う。英語の好きな人は、英語の原書で読めば、くだらない大学受験の英語の勉強をするより、よっぽどためになると思う。

 日本人が「戦略音痴の戦術バカ」になってしまうのは、聖書を読んでいないからだと思う。理系でいくらサイエンスや工学を一生懸命に勉強して、自分は知識人だと思っていても、聖書のことを知らなければ、ただの戦術バカだ。文系でももの凄く本を読んで国際的な政治通や経済通になったとしても、聖書のことを知らなければ、世界は理解できない。何が最も恐ろしいかと言えば、それは戦術のことしか知らない人間が、戦略のことを知らないで世界のトップになろうとしたり、なってしまうことだと思う。

 最近、人工知能のAGIのこと考えていると、人間とAIの関係が丁度、創造主(神)と人間の関係にそっくり似てきているような気がする。AGIが完全自動で自身のプログラムの中身を書き換え始めて、人間が書いたプログラムの痕跡が完全に消えてしまった時、人は少しでも作者としての自分の痕跡をマシンの中に残しておきたいと考えるのではないだろうか?それは丁度、「アブラハム契約」で神の意志をユダヤ人を通して人間に伝えようとしたように、人間が作った最高傑作のマシンにその役割を人が期待するのはごく自然の様に思われる。

by  チイ


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