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フォン・ノイマンがヨーロッパの数学界の法王になっていたら? [科学]

 日経サイエンスを見ていたら、今年は一般相対論100年の年になるそうだ。(一般相対論が完成したのは1915年。着想から完成までおよそ8年の歳月を要している。)実は私は2013年03月11日に書いたブログ(ワーグナー生誕200年〜創造と破壊〜)の内容で嘘を書いてしまって、その後訂正したのだが、私の頭の中でいつの間にかドイツの大数学者のリーマンとヒルベルトがごっちゃになってしまっていた。

 それで今回改めて日経サイエンスの記事を読んでいて思ったのだが、アインシュタインは一般相対性理論の数学的な枠組みを完成させるのに、リーマン→ヒルベルトと二世代にわたってドイツの大数学者と関係している。ガウス→リーマン→ヒルベルトに至る流れは、音楽の世界で言えばドイツの三大B(バッハ→ベートーベン→ブラームス)に相当するもので、ドイツの黄金期を支えた数学の世界の金字塔だ。リーマンはアインシュタインよりは1世代前の人になるが、アインシュタインが一般相対性理論を記述する数学的な枠組みとしてリーマン幾何を採用したことで関係しているし、ヒルベルトはその最終的な方程式を見つける過程で相談したことで、その後先取り権競争に発展してしまっている。

 最後の方は、アインシュタイン、ヒルベルト双方共にかなり嫌な思いをしたようで、実際にヒルベルトも一般相対性理論の方程式に関する先取り権はほしかったようだ。ヒルベルトがアインシュタインから一般相対論の物理的なアイデアを聞いた時点で、数学的な道具を扱う能力に関してはヒルベルトの方に一日の長があったわけで、アインシュタインとしてもいつヒルベルトに追い越されてしまうのではないかという恐怖との戦いでもあったようだ。

 話は飛ぶが、フォン・ノイマンはゲッチンゲン大学でヒルベルトに師事している。ヒルベルトもフォン・ノイマンのことはたいそう気に入って、本来なら彼の後を継いでヨーロッパの数学界の法王の存在になっていたはずだ。(丁度、ガウスが若き日のリーマンの才能を見出したように。)しかし、実際にはヒトラーのナチスが台頭してきて、アインシュタイン、フォン・ノイマン共に海を渡ってアメリカに亡命してしまう。

 改めて思うのは、ドイツ黄金期の最上の文化を引き継いだのは、当のドイツ人ではなくてそれはユダヤ人であったということだ。数学の世界だけではなく、音楽の世界でもこの頃には、ドイツの最上の文化を引き継いだのは、当のドイツ人ではなくてユダヤ人になってしまっていた。そしてそれは結果として、まさにヒトラーやワーグナーが最も恐れたとおりになってしまった。(民族の純血と言う意味では。)

 歴史にifはないと言われるが、もしヒトラーが現れないで、フォン・ノイマンがヒルベルトの後を継いでヨーロッパの数学界の法王になっていたとしたら、歴史はどのように変わっていたのだろうか?ドイツは今でも世界の文化の中心だったかもしれない。もしヒトラーがユダヤ人を大量虐殺しなかったら、現時点でAGIは既に開発されているかもしれない。国が栄えるとはどういうことなのか?一般相対性理論から100年目の年に色々と考えさせられてしまった。


by チイ


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