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ショパンの音楽 [音楽]

 今年の第17回ショパンコンクールもまた新たな才能を発掘して閉幕したが、3週間にも渡る長丁場を乗り切って優勝するには、肉体的にも精神的にもタフでなければ務まらないわけで、ピアニストの登竜門としては本当に大変だと思う。コンクールは、どこか受験と似ているところがあって、細い綱渡りをさせられているようなところがあって、私自身あまり好きではないのだが、それでも5年に一度、また新たな才能に出会えるという意味での喜びも大きい。

 今回、小林愛実さんがファイナルまで行ったが、一般に日本人女性は指が短い人が多いので、西洋人の成人男性と比べた場合、その肉体的なハンデというのはかなり大きいと思う。理想を言えばプロは10度は軽く届いた方がいいです。(私の場合、9度は届いて弾けますが、10度は無理をすれば届きますが実際に流れの中で弾くのは無理です。)肉体的な器からくる音の違いはもうどうしようもないものがあり、それも才能と言ってしまえばその通りなのだが。(知能のIQのようなものか?)

 ところで、私はショパンの音楽からは、物質的なものはほとんど感じない。ショパンの音楽は波(波動)そのものだ。(それは精霊といってもいいのかもしれない。)ショパン以外の大作曲家の音楽からは、多少なりとも物質的なものをある程度は感じてしまうが、人間が肉体を持った物質的な存在であることを考えれば、それはある意味で当然のことではあるはずなのだが、ショパンが特殊なのだ。

 ショパンの凄い所は、それを全ての楽器の中では一番物質的と思えるピアノで実現しているところだ。本来なら一番物質的なピアノという楽器を使って書いた曲は、一番物質的なものを感じさせる曲になるはずなのだが、ショパンの場合はそうはなっていない。これはもう完全にパラドックスの世界だ。

 考えてみれば、ピアノはパラドックスに満ちた不思議な楽器だ。ピアノは平均律を一番代表する楽器でもある。ピアニストは調律師が調律した音だけしか出せない。弦のように自分で音程を調整できない。また、ピアノの音自体は弦楽器のようないわゆる「器量良し」の音ではない。ピアノの音は叩けばあとは減衰するだけで、単音でメロディーを弾いても音楽にはならない。でも和音で囲ったピアノの音はオーケストラにもなる。

 最近のショパコンは、東洋人だらけになってきていると言われている。実際にアジアからも既に3人の優勝者を出している。ショパンの物質的な要素を感じさせない感性が、東洋人にもマッチしているのだろう。その一方で、私はショパンの音楽から「ロゴスの世界」も同時に感じてしまう。そういう意味ではショパンは紛れもない西洋人なのだ。多分ショパンの音楽で「ロゴスの世界」を表現するのは西洋人のピアニストの方が格段に上手だと思う。

 ロゴスの世界が苦手で、東洋人の中では、一番物質的である日本人がショパコンでなかなか高成績を上げられないのは理屈に合っているのかもしれない。

by チイ


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