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和魂って本当に存在するんだろうか? [宗教]

 日本は、キリスト教徒の割合は1%にも満たない程度だと言われていて、明治以来の「和魂洋才」を実践しているようにも見える。またそこには魂までも西洋に取られてしまっては堪らないという反骨精神のようなものも感じられる。その反面、最近の日本のエリート層は、有名中高一貫校の出身者で占められていて、その多くは所謂キリスト教系(カソリック、プロテスタント)の学校である。そういう意味では、日本の知的層は、現段階で既にキリスト教に国を乗っ取られているようなものかもしれない。

 それで最近よく思うのが、「和魂って、本当に存在するんだろうか?」という疑問だ。洋魂や和魂などと言うと、宗教的な信仰の話になってしまいがちだが、ここではそういったものを昇華した後の「近代普遍主義理念」のことだと思ってもらえればいい。20世紀の物質文明を産んだ「物質論」や、これからの21世紀を支えて行くであろう「パターン主義」などがこれに当たる。実際の技術を生み出すための思想や理念などのことを言う。

 西洋では、「洋魂洋才」が成り立っているのはほぼ間違いない。下にその関係性を図示してみた。ここで重要なのは、洋魂と洋才の繋がりが双方向であると言う点だ。この事は、例えばクラシック音楽を考えてみればよく分かる。西洋のクラシック音楽は、教会音楽を母体にして産まれているが、クラシック音楽の「受け皿」としても存在している。クラシック音楽をやっていて挫折したり、疑問に思ったりした時、教会音楽の方に戻って自分を見つめ直して再びクラシック音楽の方に戻って行くような人もいる。その人の出入りはかなり自由でかつ双方向だ。教会音楽がクラシック音楽の裾野を広げているわけだ。また、その他の分野でも同様に双方向の繋がりになっていることが多い。


     洋魂⇄洋才


 私の考える「和魂洋才」は、実際には和魂と洋才は繋がっておらず、洋魂から洋才への一方向で繋がっているというイメージです。(下図参照。和魂と洋才は実際には繋がっていないという意味で×印を付けています。)日本人の言う所の和魂と言うものは存在するのかもしれないが、それは日本人自身があまり価値を置いていない和才を生み出すためのものであって、残念ながら洋魂のように洋才を生み出すための万人に共通した価値観下での普遍主義的基盤は無いように思う。また日本人は洋才を産むための洋魂にしか価値を置いていないため、洋才→洋魂の繋がりはほとんど無いし、このことが日本人を所謂「応用バカ」にしてしまっている。音楽でいうと、日本人は西洋音楽を器用にこなしてみせるが、西洋の教会音楽のような戻るべき場所が無い。


  和魂×洋才←洋魂


 Jazzはゴスペルなどの黒人音楽を母体にして生まれている。しかしそれがJazzになるまでには黒人だけではなく、特に音楽理論の面では優秀な白人の力も借りながらその体系が出来上がって来ている。白のJazzではビル・エバンスのようなユダヤ人も参画している。私は、日本人は和魂を母体として、それを万人が認める普遍主義的価値観に基づいたものに昇華させる努力をもっとすべきだと思う。その際、それが自分達の力だけでは無理ならば、Jazzのように色々な人種の人達にも入ってもらって、より良いものに作り上げていけばいいと思う。ただ単に、西洋の洋魂を洋才に変換して消費するだけの存在にはならない方がいいと思う。


by チイ

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