SSブログ

ものつくり敗戦 [本]

 東日本大震災から早半年以上が経過してしまったが、この半年の間に巷には「3.11からの復興本」なるものが氾濫している。私もご多分に漏れず、何冊か買って読んでみた。ただ、私の場合、その本の要旨や目次にささっと目を通して、絶対に買わないようにしているものがある。

  • モノ作りを賞賛して製造業での被災地の復興を提案しているもの。
  • その本の中身にソフトウエアについての記載が全くないもの。

おどろくことに上記2つの制約で篩いをかけると、現在出版されているほとんどの復興本はバツになってしまうのである。それでもこの半年の間に、あえて何冊かは買って読んでみたのだが、一番まともなことを書いてあるなと思ったのは、野口悠紀雄著の「大震災からの出発~ビジネスモデルの大転換は可能か」くらいだった。ただ、この本もそうだが、製造業に代わって高付加価値のサービス産業を早急に興さなければならないのは確かなのだが、実際どういった戦略でそれを実現させるかとなると歯切れが悪い。特にこれからシステムの中心になっていく高付加価値を生む源泉になるはずのソフトウエアの技術力の遅れは、もうどうしようもない所まで来てしまっているといった感じだ。

 復興本ではないが、一ヶ月くらい前に読んだ本で、上記の2つの条件を満たしているものとして、木村英紀著の「ものつくり敗戦」という本がある。初版は2009年の3月なので、既に2年半が経過していているが、非常に興味深い内容だった。多分、執筆したのは3年前くらいになると思うので、現在世の中を席捲しつつあるクラウドコンピューティングのことなどは書かれていないが、日本の国産「第5世代」計算機プロジェクトのことなどについても書かれてあって面白かった。簡単に筆者の論点を要約すれば、これからの技術は、「理論」、「システム」、「ソフトウエア」が中心になっていくが、日本のものつくりはこれら3つが大の苦手科目であって、このままではやがて技術の主導権を失って、ものつくり敗戦になってしまうだろうというような趣旨だ。(この3年間のアップルの躍進をみるにつけ、筆者の予想は当たっているように思う。)

 ただ、私は、この本の中で、上に書いたメインテーマ以上に、以下の3点に自分の興味が移ってしまった。(ちなみに、筆者は、筆者が言うところの第三の科学革命の成果のひとつである、制御理論の専門家である。)

(1)筆者の論点によれば、戦後の日本の科学技術が欧米に遅れを取った要因に、「第三の科学革命」を基盤にしなかったことを挙げている。筆者によれば第三の科学革命とは、自然科学にその基礎を持たない、人工物を対象とする科学のことだ。自然科学に基礎を持たないので、工学の理論がそのまま基礎になる。(いわゆる自然科学の応用として工学の理論があるという考えではないのだ。)私は、筆者の言うところの大量生産、大量消費が生んだ人工物の複雑さや不確かさの基礎になる自然科学は「複雑系の科学」だと思っているのだが、どちらの考え方が正しいのだろう?ただ、思うに、現段階で複雑系の科学はまだ残念ながら、本当の意味で、科学足り得ていない。(まだ、新しい小道具をパッケージ化しただけの前科学の段階ということなのだろう。)逆に、そういう状態でとりあえず技術として可能な範囲で走っているわけなので、ある種の危なっかしさのようなものを感じてしまう。複雑系の科学者は、もっと頑張らねば!!

(2)もうひとつは、上の3つの中の「理論」に関することで、筆者は、理論が重視されない日本の工学研究の風潮に、数学の停滞を挙げている。最近文化省の科学技術政策研究所が「忘れられた科学―数学」という興味深いレポートを出したそうで、それによると論文シェアでは、主要国中最下位(世界第20位)で、加えて他分野に比べての実績が相当に低いらしい。実際、アメリカなどでは、金融工学やコンピュータサイエンス、最先端のソフトウエアの分野などでは、数学者は引っ張りだこの状態だと思うのだが、日本では世界的に通用するような人材であっても、予備校で東大や京大といったところの受験の数学を教えるような仕事しかないのが現実なのだろう。これからの時代、筆者が言うような技術トレンドになるなら、ある程度大きなプロジェクトには、数学者もエンジニアとして加わってもらって、そのシステムの理論を作ってもらうような仕事の仕方に本当はならなければいけないのだろう。今の日本の数学の停滞は、そのままソフトウエアの停滞に繋がっているように感じる。日本の数学者も、純粋数学だけではなく、数学が使われる隣接の科学分野にもっと積極的に出て行って仕事をすべきなのだろう。それが繋がりの時代ということだ。

(3)筆者は、日本の技術の特徴として、日本の労働集約型技術が、産業革命での「道具」から「機械」への本流のパスに逆の流れの、「機械」->「道具」のフィードバック・ループを付けたとしている。同様に第三の科学革命の「機械」から「システム」への本流のパスに逆の流れの「システム」->「機械」へのフィードバック・ループを付けたとしている。米のメジャーリーグで、野茂がそれまで忘れられていた変化球のフォークボールを彼らに思い出させたことや、イチロウがパワースラッガー全盛の時代に、昔のオールドベースボールのスタイルを彼らに思い出させたこととも、何か似ているような気がする。(余談になるが、清水博著の「生命を捉えなおす」の中に、生命が本質的に創造的な存在であることには、フィードフォワード・ループが重要な役割を果たしていることが書かれてある。日本はフィードバック型の社会であるのに対して、欧米型社会はフィードフォワード型社会であるということだ。)こんな所にまでも、その民族の特性が科学的知見に裏付けられて出てしまうことにあらためて驚かされてしまった。

by チイ


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。