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飛び級制度はあった方がいい [社会]

 最近「鉄緑会」なるものの存在を知った。開成、桜蔭、筑駒といった中高6年一貫校の子弟を対象にした塾で、東大理3と東大文1を目指す人達のための英才教育を行っているらしい。中1の1年間で中学3年分の教育課程をこなして、中2~3の2年間で高校3年分の課程を全部やってしまうらしい。残りの3年間は全て受験対策にあてられて、その間に大学や大学院課程の内容も教えるらしい。宿題の量も膨大で、途中でついて来れなくなる人も出てくるとか。大学に入学しても、「それ既に塾で習ったじゃん!!」ということになってしまって、大学の授業が退屈らしい。

 海外では、はやい人ではもう小学校や中学校の段階で大学や大学院に飛び級で入学しているケースはめずらしくない(注1)。特に今の時代、「数学」、「理論物理」、「ソフトウエア」の3分野で、世界のTOPで活躍しているような人は、ほとんどが飛び級しているような人達ばかりだ。その国からこれらの人たちが数名出るか出ないかで、その国の将来が決まってしまうくらいの影響力のある人達だ。しかし、「飛び級」に対する世界と日本の考え方の間には大きな違いがある。

 海外で上記3分野について飛び級の制度があるのは、これらの分野で世界のTOPとして活躍するためには、二十歳前くらいまでには、それまでに人類が知り得た全ての知識を学び終えて(「教師あり学習」の段階を終えて)、「教師なし学習」の段階に入っていなければいけないからだ。そのためには子供でも才能のある子は実際の大人の大学の現場に入れて、孤独な戦いをしいて幼稚な考えから脱皮させる。飛び級制度があるのは、教師なし学習に入る時期的な問題を解決するためのものだ。日本の一般的な教育課程でこれをやると30歳近くになってしまう。この3分野に関しては、それではもう遅すぎるのだ。

 日本の中で、上記の海外の飛び級に当たる人は、多くは上記の「鉄緑会」の中にその人材は存在していると思うのだが、その目的は全く違っている。鉄緑会はあくまでも東大理3と東大文1の受験に高得点で合格するために大学や大学院のレベルまで勉強するということだ。日本の大学受験のレベルで高得点を取るために先まで勉強するわけだ(注2)。しかもその人たちは理系の場合、ほとんどが医者になる人たちで、上記3分野の人達はあまりいない。しかも、実際に大学の現場に飛び級して、そこの中の大人達にもまれながら鍛えられるわけでもない。

 海外で医学部の飛び級があるという話はあまり聞いたことがないし、日本の医学部は世界的に見ても本当に特殊な存在だなと思ってしまう。日本では医学部は一番頭の良い人が行くところで、大学受験の偏差値では実際にそうなんだろうけど、東大や京大の医学部の出身者でノーベル賞をもらったような人はまだいない。医者として本当に必要なことは、もっと他のところにあるような気がしてならない。

 いずれにしても、日本の飛び級制度は失敗していると思う。文科省のつくった「皆が同じ年齢で同じ教育課程を受講して、その中で深堀して点数を競い合う」みたいな横並びの発想に絡め取られてしまっている。日本の教育制度も海外のそれを部分的に戦術的に弄り回してつまらないものにしてしまっている。自らが戦略音痴を自称するなら、何も考えないで真似をしてそのまま導入したほうがずっといいと思う。

(注1)これらの人は、大体小学校の低学年の時期に、微積分を完全にマスターしてしまったというような人達。

(注2)「ショパコン」や「リストコン」は大体二十歳前後の人達でその技術を競い合う。だけど、世界的なコンクールで、二十歳前後で「バイエルコン」なるものは存在しない。日本の場合は、世界では存在しない「バイエルコン」で優勝するために、「ショパコン」や「リストコン」まで勉強するといった感じ。

「鉄緑会のサイト」 http://www.tetsuryokukai.co.jp/

 by チイ 


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