超越としてのシンギュラリティ [本]
最近、新書と言えばAIに関するものばかりを買って読んでいる。今年になってからも、もう5冊くらいは読んだ。
- AIは「心」を持てるのか(脳に近いアーキテクチャ) (ジョージ・ザルカダキス)
- シンギュラリティ(人工知能から超知能へ) (マレー・シャナハン)
- 人類を超えるAIは日本から生まれる (松田卓也)
- 記憶の森を育てる(意識と人工知能) (茂木健一郎)
- シンギュラリティは近い(人類が生命を超越する時) (レイ・カーツワイル)
このところ、ちょっとAIバカになってきていて、これではまずいな思っていたが、最後に書いたレイ・カーツワイルの世界的名著(ポスト・ヒューマン誕生)のコンパクト版を読んでいて、彼の思想家としての一面を見ることができた。
レイ・カーツワイルは「シンギュラリティは近い」(人類が生命を超越する時)の最後の方で次のように書いている。私は彼のこの考えには、全面的に賛成の立場でいる。
「我々が超越性(トランセンデンス)-人々がスピリチュアリティと呼ぶものの主要な意味ーに遭遇するのは、まさにこの物質とエネルギーの世界においてなのだ。」と前置きをして、
ここから、
私は物質主義者とずっと呼ばれてきたが、自分では「パターン主義者」だと思っている。我々は、パターンの発現する力を通してこそ、超越することができる。人間の身体を形作っている物質は、速やかに入れ替わってしまうので、持続しているものは、人間のパターンが有する超越的な力に他ならない。このパターンの持続力は、生物体や自己複製テクノロジーといった自己再生システムを明らかに超えている。パターンの力と持続性こそが、生命と知性を支えているのだ。パターンは、それを構成している物質よりもはるかに重要である。
キャンパスにでたらめに描かれた線は、ただの絵具である。しかしそれがあるべき形に配列されると、素材の物質を超えて美術となる。でたらめに書かれた音符はただの音を表しているが、それが「霊感を受けたように」配列されると、みごとな音楽になる。山と積んだだけの部品はただの在庫品だが、革新的な方法で配列され、おそらくはなんらかのソフトウエア(新たなパターン)が加えられれば、テクノロジーの「魔法」(超越性)が生まれる。
ここまで、
そして最後に、このパターンの力をこう結んでいる。
「そしてこのパターンの力は、我々が遭遇する物言わぬ物質とエネルギーを、崇高でインテリジェントなーすなわち、超越的なー物質とエネルギーに転換しながら、外へ外へと拡張していくだろう。それゆえある意味、シンギュラリティは最終的に宇宙を魂で満たす、と言うこともできるのだ。」
by チイ
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