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バレエ音楽もあった~音楽における抽象性~ [音楽]

 連休初日の土曜日に、八島とも子さんのお姉さん御夫妻のバレエの合同発表会(第12回ヤシマ・バレエ教室/第6回盛川クラシックバレエ)にご招待いただいたので、鎌倉芸術館に見に行ってきた。チャイコフスキーの「くるみ割り人形」の全幕を見ることができた。私は、くるみ割り人形の「花のワルツ」は昔から大好きな曲の一つなので、それをバレエの踊りと一緒に見て聴くことができてとても幸せな気持ちになった。

 そこで、オーケストラを使った総合芸術には、「オペラ」だけではなく「バレエ音楽」もあったのだとハタときずいた。今年はワーグナーイヤ―なので、すっかりオペラに頭を取られていて、そのことを忘れてしまっていた。そして同時に、「音楽における抽象性」ということについてちょっと考えさせられてしまった。オペラでは、オーケストラに合わせてアクターが歌詞の付いた歌を歌って演じる。そのため音楽の表現がより具体的なものになる一方で、音楽としての抽象性、普遍性のようなものは失われる傾向にある。ワーグナーのオペラがヒトラー(ナチス)に悪用されたのは偶然ではない。そこには政治に利用できる具体性があったからだ。第2次世界大戦で、同じドイツの三大Bの音楽が嫌いになったとか、悪用されたような話はあまり聞かない。

 音楽には、「標題音楽」や「交響詩」といったようなものもあるが、音楽の理想はやはり抽象性や普遍性の中にあるように思う。その点、バレエ音楽は、アクトと音楽が完全に分離されているので、政治的に悪用されるような心配はまず無い。音楽としての抽象性も担保される傾向にある。オーケストラを使った総合芸術はこれからも色々な形態を持ったものが出てくると思われるが、その中で音楽としての抽象性や普遍性をどうやって担保していくかは大きな課題になっていくだろう。

 話は変わりますが、最近出版された、村上春樹の「色彩をもたない多崎つくると、彼の巡礼の年」は、リストの巡礼の年第1年スイスの第8番、Le mal du pays(郷愁)を題材にして書かれてあるそうです。私は基本的には小説は読まない人なのですが、今回は買って読んでみようかな~とも思っています。

 by チイ


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