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空の鳥、野の花のように [メンタルケア]

  「前に言ってた仕事の話なんだけど、、、あれは嘘だったんだ、、。ごめん。本当
にごめん。」
いつも快活でハイテンションだった若い頃。
酒の力を借りて辛い事を忘れようとしているうちに、いつしかすっかり酒に飲
まれてしまった。
彼の最後の電話は、まるで地獄の底から聞こえてくるような暗い声で、あやま
る言葉もやっと力を振り絞るようで、だから私はすぐにでも車で行こうかと思
ったほどであった。
彼が亡くなったのはその約1週間後。
長い精神的闘病生活の終わり、少し治る兆しが見えた頃であった。
 
また20代後半から自殺未遂を繰り返し、私と出会った頃「またやっちゃいま
して、、」という彼にどんな言葉をかけてもむなしかったことも今だから語れる。
結局自らいのちを断ってしまった彼に対して、なにができたかといえば、何も
できなかっただろう。
 
彼らに共通することは、まじめでまっすぐ、そしてその感性は鏡のように相手
を写し出し、自らを鋭利な刃物で切り裂いてしまう。
実際、芸術関係者に多いのか、そのとぎすまされた感性が良く出れば素晴らし
い作品に、反面がでてしまうと自らのこころをみじんに砕く。
 
あるいは妄想。
思い込みは芸術にとって必要な要素である。
その思い込みが妄想になり、まわりを巻き込んでの騒動になる事はありがちな
のだが、問題はその「程度」なのである。またすぐれた芸術家は、妄想がちで
あるようだ。
彼または彼女からの妄想だらけの発言を真に受けて、ふりまわされる。
あるいは彼または彼女からいわれなき非難をあびて、(それがしばしばヒステリ
ックに行われる)傷ついてしまうこともある。
 
このような経験は多かれ少なかれどんな社会に属していても経験することであ
ろう。私は今まで音楽家や舞踊家、美術家、俳優などといっしょに組んで仕事
をすることが多かった。彼らの魅力的な作品や芸風とともに、その風変わりな
性格もまた私にとっては抗い難い引力であった。びっくりするような発言につ
いて分析する機会が多かったのだ。もちろん、「ふつうの」芸術家もたくさんい
るのだが、どうも私自身は「ふうがわりな」人々に惹かれてしまう。
最近になって子どもを持つという、一般社会と隔絶していてはいられない状況
に放り込まれる事によって、「ふつう」といわれる社会と繋がる事ができた。
むしろ自分は一般社会の中では異端のように思っていたのだが、「ふつうのひと
びと」というのがなかなかどうして魅力をたたえて手招きするのである。「ふつ
うの人々」なんていない。
だいたい「ふつう」の定義じたい曖昧で客観性が無い。遅まきながらPTAに組
み込まれる事態になって初めて実感した次第だ。
ただこの日本の社会は、特に戦後の教育によってか異端的な人を排除する傾向
がある。
 
そもそもこだわりを持ちすぎるひとは生きにくい世の中のようである。
日本では少なくとも個性を大切に、などといいながらその実は周りとうまく足
並みを揃えないと生きにくい。
また各国で異端の定義は違うだろう。
面白いのはスペインで、どうしようもない大変な子どもなどは、将来楽しみ、、
という認識なのだ。一概にどちらがどうとはいえないが、日本の中だけの価値
観で物事は計れない事実を、これだけ居留外国人が増えた時代なのだからとり
わけ教育に携わる方々には認識してほしいと思う。
 
今まで私が出会って来た魅力的な異端者たちの中で、通院せず自ら問題を解決
していった人は多い。どうして解決できたのか。それは話す事であった。
私は聞いていただけだ。
以前はメンタルについての知識がなかったのだが、それを知らずとも徹底して
相手の話を聞くという態度は偶然ながら正しかったようだ。
メンタルの勉強をすればするほど実に繊細かつ微妙な人のこころに対して畏敬
の念を禁じ得ない。たとえ友人であっても、聞き方から発言にも責任を感じる。
また一方で通院レヴェルでなければ、話す事だけで落ち着いて行くのも実感と
して感じる。昔の井戸端会議にはきっと意味があったのだろう。
 
今や国民的傾向として「自分」を保ちにくい世の中であると思う。その上社会
状況の悪化。もちろん明らかに辛すぎる場合は迷わず通院するべきではあるが、
人の輪の中で語り合うことでラクになる人々もいる。人間関係が築きにくいい
まの社会で一人で悩みを抱えている人々が、ある程度専門知識のある人を交え
た中で表現できるサークルがもっとあっても良いのではないかと思う。
 
表面的な付き合いではなく、また揶揄しあう軽い付き合いだけではない、ちゃ
んと内面を語り合える人間関係を日本人はもう一度再構築する時期にきている
のではないだろうか。
 
お問い合わせは、下記アドレスまで!!
http://www.moulinstudio.com/jupiter
 
by 中瀬香寿子
 


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コメント 5

チイ

メンタルケア心理士の能力で一番大切なのは、人の話が聞けるということだと思います。中瀬さんはそれができているようなので大丈夫だと思います。
「異端」ということについて、このブログでもご紹介した「ロハスの思考」の最後の方に対談集ということで、福岡さんとヨーヨー・マの対談が載っているのですが(音楽のエッジ・エフェクト)、その中でヨーヨー・マがバッハの音楽は統一物ではなくてフュージョンだというようなことを言っています。フュージョンに成功すれば、それが新しいスタイルになると。人は周辺を避けて中心に行きたがる(いたがる)存在ではあるが、実は周辺の異なるフェーズが出会う界面でこそフュージョンが起きてクリエイティブなものが生まれると。(生物学的には界面作用「エッジ・エフェクト」というらしいです。)
by チイ (2009-06-19 17:19) 

きんちゃん

前のロハスの思考という本はなかなか興味深く、読んでみたいとおもっていたのでしたが、ヨーヨー・マとの対談がバッハとのこと、今6/27のムジク・ピアフォーヌでの演奏会はメインがバッハなので、本当に良いヒントでした。というのも私にとってのバッハはアカデミックに学んだ物であり、しかしそれから離れる、いわば離乳期なのだと認識しているからです。ヴィヴィッドを演奏上心がけているつもりですが、どうしてもバッハかくあるべし、しかし学んで来た事は中途半端にしか消化できていない、大変なツライ状況で模索しています。いつもコレで良いのかと自問しながら。間に合うかビミョーですが、読んでみたいです。

by きんちゃん (2009-06-19 19:46) 

kaze

S教会のオルガニスト鈴木です。お知らせをありがとうございました。
素敵なプログラムですね♪残念ながら、第4土曜日は予定がありました~
また、お知らせくださいね。
こちらにも早速見に来てしまいました。。。音楽活動だけでなく幅広いお仕事をなさっていらっしゃるのですね。びっくりしました。
実は母が長い間そのような病気をかかえていて、ず~っとかかわってきました。ここ2,3年、高齢になったことでマイナスのエネルギーも縮小し、初めて心穏やかな生活を送っています。若い頃はまだ、メンタルについては情報がありませんでしたから、通院にいたるまで時間が経ちすぎて結果完治にはいたらず家族は相当な修羅場を経験しました。最近、身近なところにも苦しんでいる方は多く、特に若い方が多くて心が痛みます。どうぞ、よい聞き手になってあげてください。
by kaze (2009-06-20 00:06) 

きんちゃん

KAZEさま、コメントをありがとうございました。高齢者のうつ様症状はよく聞きますし、脳障害(脳梗塞など)後に人格がかわったようになるというのもよく耳にする話です。実際に親がそうなってしまい、関わって行く過程でその家族が非常に辛い精神的重荷を抱えてゆくという事も多く、介護者の救済はまずメンタルではないかとも思ったりするのです。私はまだ有資格者なだけで実践経験が少ないのですが、今後はもっともっと需要が増える分野ではないかと、またいつか自分も役にたてるかなと思っています。
KAZEさまは教会のオルガニストとのお話、長い歴史を持つ宗教の知恵は良いアドヴァイスになりますよね。実は(お分かりの人も多いかと思いますが)この拙文のタイトルはマタイによる福音書からです。今、まわりで苦しんでいる方々の大多数が、自分の役割、存在価値が見えない事が多いので、この聖句を選んだしだいです。
どうかKAZEさまもご自分をも大切に、くじけそうになりましたらご自分が一番楽になる方法をとってくださいね。老人性のうつはそれくらい周りに影響を与えるものですから、、、。
by きんちゃん (2009-06-20 21:54) 

きんちゃん

KAZEさま、すみません、ちょっと見当はずれのお返事でしたね。さてチィさんが紹介してくださった、ロハスの思考が届き、今読んでいます。明日の演奏会に間に合って良かった。バッハについてのヨー・ヨー・マさんの意見は大変貴重であり、演奏家として第1線で活躍してこられた方の意見としても読んでおいて良かったと思いました。ありがとうございます。
by きんちゃん (2009-06-26 23:12) 

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